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子どもを生んで、わたしはまったく料理をしなくなった

タイトルのとおり、子どもが生まれてから11ヶ月、わたしはほとんど料理をしていない。台所に立つのは夫の仕事。薩摩の男尊女卑を地でいく鹿児島の父が聞いたら卒倒しそうだけど、ほんとうなんです。

なんでこうなったかというと。夫の2ヶ月間にわたる育休期間、わたしがむすめを寝かしつけ、その隙に夫がごはんをつくる役割分担で生活していたから。むすめが寝たら、寝室からのそのそ出てきて「いただきます」——この流れが自然と定着して、なんとなくいまも続いているのだ。最近は「ペアリング担当」として、その日の献立にあわせてお酒を選ぶのがわたしの食事におけるメイン業務になりつつある。あー忙しい。

もちろん(?)むすめの離乳食づくりもそのまま夫の担当となり、週末せっせと野菜を刻んだり肉を茹でたりしている。わたしは1度だけ、豆腐ひじきハンバーグをつくりました。

・・・・つまりわたしもむすめも、夫がつくった料理をひたすらもぐもぐ食べているのだ。数年前に『あなたは半年前に食べたものでできている』という本が売れていたけれど、それで言うとわたしの身体はほぼ夫がつくったものでできている。5ヶ月ほど前に小さじ1杯から離乳食をはじめたむすめは、まだ3分の1くらいかな。

と、そんな11ヶ月を過ごしてしみじみ思う。毎日ごはんをつくってもらって一緒に食べるって、「積み重ねてもらってる」ってことなんだなあ、と。

むすめが生まれる前は、なんというか、生活が日常じゃなかった(遅くまで仕事して一杯飲んで帰る日も多かったり)。だから考えたこともなかったけれど、毎日のごはんは「そこに座り、顔を合わせ、同じことをする」強制力がある。いい意味で。
もしごはんの時間がなかったとして、「毎日一定の時間、ここに集合して顔を合わせましょう」なんて取り決め、いくら家族でも成り立つはずがない。少なくともわたしなら即破る。
・・・・と考えると、夫をはじめ世の食事担当の人は、ごはんをつくりながら家族の時間を積み重ねてくれているのだなあ、としみじみしてしまうのだ。尊い。

実家では18年間、とくに母とはずーっと一緒に食事をしていた(父は途中で単身赴任になった)。何回食卓を囲み、どれだけ一緒の時間を過ごしたのか考えると、途方もなさすぎてくらくらしてしまう。
そしてむすめの実家は、わたしたちになる。彼女の食ライフはまだ5ヶ月、ほんとうにはじまったばかりだ。これからたくさん一緒に食べていこう。

(来月の娘の誕生日あたりから、わたしも台所に復帰する予定です。予定)


・・・・あれ、『そして、バトンは渡された』(瀬尾まいこ/文藝春秋)の感想を書きたかったんだけど、ぜんぜん違うところに来ちゃったぞ。
この小説は2人の母親と3人の父親全員からとことん愛を与えられ、賢くおおきく育った主人公・優子の話なんだけども、「食べること」がとっても大切な役割をさりげなく担っています。
読んでいる最中や読んだあと、絶対にくさくさした気持ちにならない。ぜひぜひ読んでください。

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