絵本の古典化には理由がある

絵本を開き、よそ見され、強奪され、破られそうになり、必死で取り返す。想像していた麗しい読み聞かせとはえらい違う、わが家の読み聞かせ闘争。

ぐだぐだとなんとか最後まで読みとおし、「おしまい」と言ったあと、やっぱりやってしまうのは奥付のチェックだ。
これはもう職業病かもしれないけど、その初版発行日と刷数にはいつもびっくりさせられる。半分「古典化」しているその絵本を見つめ、「いいなー」と声が漏れる。

まず、超ロングセラー。自分よりもずっと年上で、ヴィンテージマンションの築年数みたいな年月日ばかり。初版時にこれを読んだ子はいま何歳なんだろうと毎度計算してしまう。

そして、刷数。100刷を超えるものもザラ。ビジネス書や実用書では見たことがないような刷の絵本が、我が家にもごくふつうに並んでいる。

…ロングセラーでベストセラー。これが「いいなー」と思わずにいられようか!

絵本がロングセラーかつベストセラーになるのは、まず「代替可能な娯楽」ではなく、どれだけテクノロジーが発展しようと必要とされ続けるから、というのがひとつある。

あと、親は自分が読んだものを子どもに与えるから、同じ絵本が売れ続けるとも言われている。どれが「いい絵本」かわからないし、限られた生活費の中で失敗したくない。だから、むかし読んだお気に入りの絵本や「みんなが読んでいる」お墨付きのものを買う。

でも、「売れるし残る」いちばんの理由は「つくり手の誠実さ」だ、とわたしは思う。

むすめの本棚にある絵本はどれも、読者である子供のことを尊重してていねいにつくっている。ていねいというか、読者や登場人物へのやさしさ、愛情をひしひしと感じる。くすっと笑える本でも、じーんとしてしまう。

「こんなもんでいいだろう」
「この著者がこのテーマで出せばとりあえず売れるでしょ」
「最近のひとはこういうのが好きなんでしょ」

そんな姿勢でつくった絵本は、同じようにしてつくった大人向けのビジネス書より、きっともっと売れないんだと思う。マーケティングを徹底すれば多少売れるかもしれないけど、時代は超えない。子どもはそこらへんすごく敏感だし、子どもに与えるものに関しては、親もすごく敏感だから。

絵本の古典化には、理由がある。誠意あるつくり手、リスペクトだなあ。「いいなー」なんて言ってないで、そんな本をつくらないと。

さて、今日はポプラ社さんでイベントです。ポプラ社さんの本、やさしくていいですよねえ。

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