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ペンタクルス5(2021年1月26日)

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今日のサビアンシンボルは、水瓶座7度「卵から生まれた子供」です。03:10頃7度に入ります。

6で環境や対象と結びつき、7では環境との間にある落差によって走り出します。7は天と地を繋ぐ虹や7階段にも関係します。水瓶座は大地から浮き上がり、ネットワークの一部として生きるので、水瓶座7度は、天上と地上との間に架かる梯子を駆け上ります。

5度で地上にはない中空に浮かぶネットワークに気がつき、6度で肉体は地球からの借り物で、肉体を持った私は地上での役に過ぎず、どんな役割を演じようと永遠の自己は不変だと気がつくと、7度では存在の根拠が恒星へと移ります。

地上から足を浮かせるだけでは、不安定な精神状態となりますが、ハーネスを着けたように天上と繋がり、つまり存在の根拠が恒星へと移ると安定します。天に着地するということです。そもそも足を浮かせるとき、大地を蹴り上げる力ではなく、浮力をつけられるようにして浮きます。個人が独自に浮くことはできず、高次存在の介入が必要です。

人間は母親とへその緒で繋がり、母親のお腹の中から生まれますが、水瓶座7度は卵から生まれています。世界のカードの中央の楕円は卵のようで、第五元素である卵から世界が生まれます。

エーテル体が自立し、エーテル体に主体が移るにつれ、肉体感覚や地上的なことは希薄になっていきます。「色褪せる」というのは、地上から離れていくとき、物質界の極彩色の世界から離れ、色も音もない高次な世界へと向かうことにも見えます。

卵から生まれた子供とは、エーテル体の子どもが目覚めたと言ってもよさそうです。天と地の落差、エーテル体と肉体の差によって、言葉は生まれ、宇宙についてあーだこーだと考えることができます。エーテル体の体験をしているとき、あまりに当たり前すぎて、それを理解しようだとか言葉にしようなど考えないわけで、肉体があるから「これ大事」と考えたりできます。

今日のカードはペンタクルス5。ペンタクルスは土の元素で、5は放出します。有限性のある土の元素を放出するとなくなりますが、5の数字には遊びや創作という意味もあり、開け放つことに楽しさと気持ちよさがあります。手持ちのものを手放すことが楽しくて仕方ないのが、ペンタクルス5です。

死神のカードは断捨離カードでもあり、地上を粛正し、地上に根を張る思考と感情と身体を、根こそぎ引き抜きますが、ペンタクルス5も同じような意味があると言えます。土の元素が表すものすべて放出し、すっからかんにしていきます。

物を捨てることで、その物に付着した感情も捨てることができます。というよりも、物質とエーテル体を切り離し、その物に気を注ぐことをやめ、エーテル体を元の状態に戻すと言ってもよいかもしれません。手に入れたものは、馴染むまで時間がかかり、使っていくうちに気が注がれ自分のものになります。

物に魂が宿り、モノノ怪になったものには、エーテル体が分割され、分霊し、同質のものを引き寄せ、エーテル体は共有されます。低次なエーテル体が宿るモノノ怪が家の中にあり、そのことに無自覚なら、引き寄せられ振動数が合っていきます。それが悪夢や体調不良、不安定な感情を引き起こすのは、誰にでも想像できることです。

ペンタクルス5は、目に見える物質や資産を投げ出すことで、気持ちがスッキリします。無駄なものに注がれていた気が元に戻り、エーテル体が本来の生命力を取り戻すと言ってもよいでしょう。無駄なものに気を注ぐことで言えば、地上での対人関係は、モノノ怪よりも厄介なものかもしれません。

私たちの世界では、地上から浮くことはよくないことだとされ、誰もが足の引っ張りを合いをしています。社会で成功しようとすることを邪魔するとか、不幸を望んでいるのとも違い、無自覚のうちに、輪廻から抜け出そうとする人に抵抗を感じ、食い止めようとします。地に足を着けたスピリチュアルとか、社会的成功のための占いとか、中途半端な発想が生まれるのは、抜け出さないようにするために見えます。

水瓶座は大地から浮いています。足を引っ張るようなものからは足を洗います。水瓶座6度は、恒星へ回帰すると同時に、地上に根づくものを清算し足を洗うということです。

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