左の柱的自我

生命の樹の左の柱は、中央の柱に関係しないと、飛躍し大げさになり、本質とは関係のないものにまで興味を持つと考えられますが、この左の柱は、言い換えれば拡大した自我で、自分だと思っている自分を超えています。この拡張自我や超越性を中央の柱とする自我というのを考えてもよいかもしれません。左の柱の一部が右の柱ということから、左の柱には全部あるいはたくさんあるということなので、「なんにでもなれる」という発想が強くなります。たとえば一番下にあるネツァク金星の芸術性で考えるなら、役者として生きるというのも考えられます。

もっと自由に、もっと好きなように、もっと豊かに生きることが、閉塞感からの解放へと向かい、上位の意識そのもので生きることに繋がります。金星を洗練させることがポイントです。

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