背中のほくろ

癖とこだわりを脱ぎ捨てることは、自分だと思っていた自分から解放されることと同じです。自己同一化しているものを対象化し、本当の自分を取り戻していくということです。これはそんなに特異な技術が必要なわけでもなく、わりと誰でもそうやって生きているんじゃないの?というようなことです。

たとえば一つの仕事が長続きせず、3か月くらいで大抵辞めたくなって、その後いろいろ問題が起きて半年経たずに辞めてしまう、というパターンに気がついたとして、よくわからないけれど、とりあえず辞めたいと思ったとしても半年越えるまで続けてみよう、と決意して1年仕事を続けたなら、これはこれで自分だと思っていた自分から解放されています。「私はいつも誰かのせいで半年経たずに仕事を辞めることになる。」これが自分なんだと思っているなら、ずっとそうし続けるでしょう。

仕事を続けることが良いことだということでなく、自分のパターンを逸脱することに意味があります。いつも同じようなことに文句を言っていたり、特定の誰かにいつも怒っていたり、いつも同じように足を引っ張られたり躓いたり、そのパターンに気がつくなら、他のやり方をしてみたらいいです。なにも特殊なことではなくて、そうやって生きていくものではないですかね。

自分だと思っている自分を脱ぎ捨て、癖とこだわりから解放され、自己同一化しているものを対象化していくうちに、本質的自己を取り戻します。「本質的自己を取り戻せるなら、自分を知っていく苦労をしてもいい」というのは、ちょっと投げやりというか責任転嫁の人任せ的なペイジです。そして、癖とこだわりを脱ぎ捨て解放されることは、なにもなくなっていくわけでなく、すべてを自分のものにしていくということです。子どもの頃からずっとあった背中のほくろに大人になってから気がついても、ほくろはなくならないでしょ。「子どもの頃からずっとあったなんて信じられないし、ここ最近にできたんじゃないの?だけど時々かゆかったな。」そんな風に気がつき解放されるのが、癖とこだわりです。

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