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18月(2021年1月27日)

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今日のサビアンシンボルは、水瓶座8度「美しい衣装を着た蝋人形」です。02:45頃8度に入ります。

7で落差により走り出し、8では7の勢いを止め目的に向けた力へと変えます。水瓶座は7度で天上へと駆け上がり、存在の根拠は地上でなく天上になり、8度では恒星を地上化しようとします。それが美しい衣装を着た蝋人形です。

地上に足を着けない水瓶座からすると、泥水のような大地に着地した人間は、泥人形のように見えるかもしれません。重い身体と重い感情で互いに足を引っ張り合い、何をしてもずぶずぶと関係性にはまっていくことを善とする世界を、水瓶座は否定します。

水瓶座が地上と接するとき、恒星がそのまま降りてきたような人格を持とうとします。恒星のアーキタイプに生きることは、普遍的人格を持つということです。恒星に包まれるの段階では、個人の意思が働かず、とり憑かれたような人格になります。肉体の持つ個性で生きていた自分を、スッキリ脱ぎ捨てたような清々しさがあり、自分ではない自分が生き始めるように感じます。しかし地上的な事情を一切考慮しないので、これでは危ないのでは?と思い始めます。

というのも、肉体に寄り添って生きている以上、地上的肉体的事情を考慮しているので、安全装置が働きますが、恒星にとり憑かれたようになると、眠ったまま起きないかもしれないと感じたり、肉体を持った私の存在は不安定になります。

水瓶座8度は、恒星の地上化を試み、試行錯誤します。それは恒星にとり憑かれたようではなく、肉体を持つ私とエーテル体の私が同期していくような過程と言えます。天と地、エーテル体と肉体、恒星と地球の差から、任意に人格や生き方を構築しようとします。ここに楽しさがあります。

今日のカードは18月。17星で恒星にたどり着くと、それに相応しいものが集合意識から引き出されます。恒星に触れると、エーテル体で眠っていた記憶が蘇ります。それは人類が共通して持つ真実の歴史でもあり、安定して輪廻を繰り返すには不都合な記憶です。

エーテル体の子どもが目覚め、それは肉体を持つ私が、自分だと思っている自分の反対側の性質を持ち、初見ではザリガニや虫のように見えます。対象は、見る人によってその姿が変わるように、初めて見た自分自身にゾッとします。

出会ってしまった忘れ去られたかつての私は、19太陽のカードでもう一人の私という分身に育ちますが、18月のカードでは、見つけ出すこと、うっかり引き出してしまうことがテーマです。

生命の樹ではネツァクとマルクトを繋ぐので、月のカードが対象とするのは、エーテル界ではなく物質界です。形骸化した、かつて自分だったものによって物質界は成り立ち、つまり星の欠片が散りばめられています。この物質界から自分を見つけることができるなら、それは自分の元に戻ってきます。世界のカードは、物質界にも自分の欠片、意識の断片がわずかにあることに気がつき、イエソドとマルクトを改めて繋ぎ直します。そうすることで世界は自分でできていると実感します。

話は逸れましたが、水瓶座8度が恒星の地上化を試みるとき、物質界から相応しいものを探すことになります。どんな服を着て、どんな髪型をして、どんな言葉を使い、どんな仕草で話そうか、つまり信念体系としての正義や意志の在り方、無自覚に出る癖やこだわりなど、地上にある素材を探し出します。恒星のアーキタイプを地上で表現するため、物質界から星の欠片を探し出します。

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