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14節制(2021年3月12日)

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今日のサビアンシンボルは、魚座22度「シナイ山から新しい法則を持ち、下りてくる男」です。11日17:45頃22度に入ります。

シナイ山は、モーセが神から十戒を授かった場所です。山は恒星との通路があり、モーセは恒星の意志を受け取り、地上へと持ち込んでいます。山を下りるというのは、分割し地上化することを表し、表現しえないような恒星の意志は、言葉となり法則として地上へ持ち込まれます。

水瓶座でルーツに回帰している魚座は、21度で肉体側の私とエーテル体側の私が合流すると、身体を引き剥がして恒星に戻ろうとするのではなく、肉体側の記憶を回収し、それと同時にエーテル体側の記憶が再生され、新しい視点が生まれます。

魚座1度の価値の混乱は、特定の意義や目的でさえも縛るものでしかないのだから、一度すべてをぶちまけた中で、新しい価値を育てようとするためのものでしたが、つまり魚座は、価値あるものを保護し育てることさえできれば、いつどこで何をしていてもよいと考えます。

存在の根拠が恒星にあるというのはそういうことで、地球で肉体を持っていても閉塞されることなく、地上に縛られていることと比べれば、ある意味気楽です。何一つ完遂できないこの世界では、なにか成し遂げようとすれば、苦しくなる一方ですが、そもそも成し遂げようとすることが地上原理なので、それに気がついてしまうと、自由です。

恒星は、発見する、包まれる、なりきる、の三段階があると言いますが、魚座は包まれ、なりきることを目的としています。発見対象であった恒星は、包まれると主客が入り混じり、星の子どもが表に出てきます。魚座21度の合流と22度の下山は、恒星に包まれた先の新しい発見を表しています。

恒星の意図は、荷物を運ぶようにそのまま持って下りてくることはできず、恒星と繋がれば与えられ、与えられたままに生きればよいということはありません。「持って下りる」その行為自体が分割の法則で、創造行為です。魚座22度は、この「持って下りる」を楽しみます。どんな方法で、どんな言葉で説明し伝えようか、その創造行為の中で生きます。

今日のカードは14節制。ティファレトとイエソドを繋ぐこのカードは中央の柱にあり、左右の柱に関係しません。自己に関係のないことに興味を持たず、余計なことをしません。

「誰だってお金のために働いているのだから、やりたいことで食べていけるはずがない」という考え方は、自己に関係のないことでなければ生きていけないということですが、人がなぜそんな風に考えるようになったかと言えば、精神と物質が断絶していることによります。何を思っても物質は重く反応せず、いつまで経っても変わることのない現実があります。

精神と物質の断絶によって、個人は個人に閉塞していくことになり、人と人は理解し合えず、それが故に傷つけ合い、共感に縛ろうとしたり、持っていないという喪失感から奪い合い、足を引っ張り合います。

ケテルとティファレトを繋ぐ女教皇の書物に従い、忠実に体現するように生きるのが節制のカードです。陰陽の柱に関わらない中央の柱は、創造行為に関係しないように見えますが、マルクトに近づくにつれ分割の法則が働き、振動密度が下がり、物質密度が上がります。

ケテルから下りてきたものを、そのまま体現していくことは、恒星の意志を持って山を下りることと同じです。イエソドとマルクトの間には断絶があるので、物質界まで下りてきて、人々に広まるまでには時間がかかりますが、イエソドまでは恒星の力で満ちます。そうでなくてはいけないということです。

魚座は精神と物質を繋ぎ直し、本来性を取り戻し、人間になろうとします。14節制のカードは、意志を形にするため、自身を節制していくカードですが、肉体を持った私の癖を本質的自己に基づいて節制するというわけです。節制とは「欲望におぼれて度を越すことがないように、適度につつしむこと」とありました。欲望は、社会の中で生じるものです。

節制のカードは、社会内自己と本質的自己の合流であり、今ここで肉体を持って生きる私が、本質的自己を取り戻すことで、新しい流れを生み出します。恒星に回帰することで、たった一つの正解に生きることができると思うかもしれませんが、新しい発見と新しい法則を編み出すことになります。地球に生まれてきた意味がそこにあります。

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