「味わう」ってなんだ?
こうして僕はたくさんの人に支えられながら、二十代を過ごした。でも結婚して、子どもが育ってきて、音楽から離れて、二十代で気づかなかっためちゃくちゃ大事なことに気づき始めた。
二十代、バンドをすることで夢を持ち、ドームツアーすることを目標にやっていた。はっきりとイメージも出来ていたけど、叶わなかった。
その理由が結婚してから分かった。
初めて育った環境が違う人と24時間過ごすことで、見えてきたことが多かった。
俺はずっとめちゃめちゃポジティブだと思っていた。
二十代もずっと毎年年末には、人生史上最高の年だった!と言い続けていた。
でもそれはたくさんの自分の見たくない部分を跨いで生きてきたことに結婚して気付かされた。
誰にでもポジティブで、明るくて、エネルギッシュに関わってきたつもりだったけど、そこに実は無理が生じていて、体調を崩したり、一人の時に、落ち込んでいたりした。
でも自分ではそれが当たり前のことで、自分の中に湧いてくるネガティヴに注目したことはなかった。
でも誰かと生活する。ってことはその一人の調整時間が無くなることでもあった。
結婚当初はその原因が自分に有るとは到底思えず、本当にしんどかった。
そこから自分の感情を丁寧に「味わう」ということを始めた。
スーパーアクティブだった自分が嘘のように、家族とだけほぼ過ごし、飲みにもほとんど行かずに、三十代の10年間。家族を通して、自分を味わうことを続けた。
最初は過去に跨いできた自分の内面のツケのキックバックが大き過ぎて、ほんと死にたくなる日もあった。
そんな時も友達や奥さんに支えられて、今の自分がここに存在出来ていると思っている。
二十代の自分と三十代の自分で何が変わったのか。
一見二十代の自分の方がアクティブで、ポジティブでアグレッシブルなんだけど、味わいの三十代の方が、幸福度はめちゃくちゃ上がった。
10年積み重ねてきて、この感情の味わい精度はどんどん上がっていっていて、それとリンクして、現実的に幸せな出来事も増えて、幸福度は増している。
この「味わう」って一体なんなのか。
それを僕の独断と偏見的視点で書いていこうと思う。
「味わう」って一体なんだろう。
ちょうど結婚と子育てという環境の大変革で起きたそれまで生きてきた自分の価値観や信念みたいなことものが大きく揺さぶられた。
この時本当に悩み、パートナーの妻や親友のカウンセラーのお陰で、乗り越えることが出来たんだけど、この時期にそれまで生きてきて、見ないフリしてきた30年分のネガティヴを味わった。
湧いてきた感情をただ味わう。
親友にそう言われて、やろうとしたけど、ネガティヴのビッグウェーブは、簡単にその時の俺を呑み込んでいった。
いやいやいや!無理やろ!笑
湧いてくるネガティヴをただ味わう…
蟻地獄をもがかずに泳ぐ…
溺れてる最中にフッと力抜いて仰向けに浮かぶ…
無理やろ!笑
ピンチの時にもがくのは防衛本能という自動設定やろ!!
とか思った。
まぁそやって、波に呑み込まれながら、サーファー達は、波に乗る感覚を掴んでいくかもしれないけれど、やっぱり呑まれたら苦しい。
それでも自分で、まずいろいろ考えてやっていってみた。
まずはアクティブに過ごしたチャレンジと挫折のジェットコースターライフからの脱却から始めた。
仕事と家の往復と、家族の時間に一年のほとんどを過ごせるように、シフトした。
友達からの飲みの誘いも断り、数々のお誘いを断りまくってたら、望みどり誰も誘って来なくなった。
そこから自分がその時、本当に行きたいところだけに行き、その時自分が本当に会いたい人にだけに会いに行った。
この時の生活は静寂っぽいが、内面はネガティヴのビックウェーブが毎日襲ってきてるので、ほんと産まれたての子鹿ぐらいカタカタ震えてるおじさんだった。(見た目は変わらないけど、この頃の写真の顔見るといじめられてた小学校の時みたいな顔してる…笑 ちょっと目がウルウルしたおじさん)
そうやって、ドラゴンボール世代の僕は、ストイックに感情を味わう精神と時の部屋モードに、自分の環境を整えていった。
ずっとトンネルの向こう側に広がる彩られた美しい幸せの世界を見ながらトンネルを進んだ。
そしてトンネルを抜けると、幸せの光がさしてきて…
やったー!!と喜んだ!
そしたらすぐ次のトンネルが…ww
どうやら山多めの道を進んでるみたいだった…
修行といえば山籠り…というイメージ通りの修行の日々を送った。
そう!おれはドラゴンボール世代。強くなるには修行だ!
「味わう」ってなんのか。何も書いてないのに気づいたので、話をドラゴンボールから戻す。
そもそも味わうって必要なのか?
簡単に言うと、別にそんなんしなくても生きていけるのかもしれない。
そしてお金を稼ぐとか成功するとかとはまた違うので、別に「味わう」をしなくても、稼げるし、成功出来ると思う。
じゃあなんで俺はそれをしたのか。
生きている時にいろんなタイミングで湧いてくる焦りや、孤独や寂しさでめちゃくちゃダメージ喰らう自分から抜け出したかったからだ。
でもまさに自分では気づけなかった。
親友が俺に嫌われる覚悟で、
このまま生きていくとヤバいぞ!と言ってくれた時も、
大丈夫!大丈夫!俺は自分のことわかってるから!
と言った。
そして無自覚の俺を助けてくれたのもやっぱり妻だった。
その時たまたま仕事で悩んでいて、俺の親友がカウンセラー兼コーチ兼ヒーラーだったので、その悩みを解決するために受けたいと言った。
それはいいね!と思い、そしたらふと俺の好奇心が反応して、一緒に受けてみようかな。となった。
夫婦二人とも受けるので、毎週来てくれて、それぞれ個別でセッションした後に、リビングで、三人で会話してた。
そしたら夫婦ではお互い受け取り合えないことを橋渡ししてくれる彼の存在が、パートナーシップを飛躍的に改善してくれた。
そこから彼のおすすめの「味わう」を始めた。
とにかくそれから家族と過ごすことが幸せ過ぎて、ずっと家族と過ごした。
それでもやっぱり日々いろんな感情が湧いてくる。
そしてやっぱりネガティヴもいっぱい湧いてくるんだけど、この何もない家族との日常の幸福感をずっと味わっていたいから、「味わう」をやり続けた。
最初は味わえば、そのネガティヴ感情は空に解けて消えていくと思っていた。
味わうことで、自分が生まれ変わるとも思っていた。
でも実際は何も変わらない。
なんやねん!変わらんやん!って思った。
そもそもこれで合ってるんか?
味わうってどうやってやるんや?
そんなことが浮かんで、味わえない。
でもまた味わってみる。
そんなことを数年続けた…笑
さすがドラゴンボール世代!修行好き…笑
でもびっくりした。数年経って、ふと振り返ると…
自分がめちゃくちゃ変化してることに気づいた。
朝、家族でご飯を食べられること。
ふと誰かと笑い合えること。
ハグできる人がいつもそばにいること。
大好きな自転車で通勤できること。
妻のお弁当を食べられること。
おやすみが言えること。
おはようが言えること。
泣いたり怒ったり許し合えること。
それはほんと小さな小さな事ばかりなんだけど、日々の日常って、そんな当たり前になってしまっている小さなことの積み重ねを上に出来ている。
そこに幸せを感じれるようになったことで、俺の幸福度が完全に上がっていることに気づいた。
これはネガティヴだけじゃない。
いろんなことを「味わう」ことで、生み出された宝物だった。
日々の小さな小さな当たり前のことを、ただ「味わう」。
その時は何の意味も感じられないんだけど、ふと振り返ると、無限の恵みに気付ける感覚を少しずつ手に入れていっていたんだ。
「味わう」っていうのは、俺が生きている限り永遠に研ぎ澄ましていける幸せゲームみたいなもんで、完全にハマってしまった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?