人々をつつみこむ雨

2022.7.19.  Facebookタイムライン

足もすっかり回復し、この週末も前週末よりはだいぶ楽だったので、のんびりと大阪へ。

「雨のような他者」が人々を濡らし包み込むように癒す、というイメージのもと、僕は趣味である(実験長編)小説を書き進めている。

そのような目で、「雨」という言葉を周辺に探っていくと、詩ほかの作品群や日常会話などにも、メタファー的に雨が使われていることが多いと気づいた。小学生の詩などにも登場する。

だがそのほとんどは「自分(たち)を濡らす雨」という視点であり、その雨はネガティブに扱われる。失恋等のネガティブな現状をさらに畳み掛けてくるような雨、というイメージだ。

けれども中には、温かく人々を(あるいは「わたしを」)包み込む雨という描き方もある。

この、一見人々(わたし)を冷たく濡らす事象/雨を纏いつつ、濡らされるその人にとっては薄い水のベールに包まれたあり方、そしてその際の止まった時間が、濡らされるわたしに安心を与えている。

どうやら僕が行なう「支援」とこのポジティブな雨のイメージは重なるようだ。

早朝6:00台の淡路島南端は雨。バスの窓を雨は濡らすが、その先に小さな湾をわずかに見せてくれている😀


DINKS

2022.7.12.  Facebookタイムライン

この週末は、zoomでの配信のほか、辻田さん個人ソーシャルワーク事務所への冷蔵庫搬入(久しぶりに筋肉が超本気になった)、小学校での保護者懇談(僕は保護者として参加)等、なんかメチャクチャ大変だった。

今日は大阪に戻って4件面談等、ドーナツトークの王道仕事が待っている。

僕の20代の頃に考えた計画では、闘う編集者をしながらバブル系DINKSも謳歌したあと、50代は仕事もセミリタイアして南仏プロヴァンスで白ワイン泥酔の日々だった。

それが、徳島と大阪の二重生活(もう6年目!)をしながら、子の懇談に行って悩める若い担任を応援し励ましている。そして、超巨大な冷蔵庫を軽トラで運んで階段を必死になって運び上げる。

だいぶ計画とはズレてしまったが、20代のさいろ社の頃よりも、何をやっても「肯定」している自分がいる。

若い頃は理念としての肯定に憧れ、ニーチェを読みツェッペリンの『プレゼンス』を繰り返し聴きジョンの『ジョンの魂』に涙しサリンジャーの「エズミに捧ぐ」を反復した。

けれども今や、懇談で悩む教師を逆に励ますくらい、肯定が身に染み付いている。おじさんの自己中と表裏一体だろうが😿

写真は今朝の鳴門海峡。鯛を狙っているのかな?


老化

2022.6.28.  Facebookタイムライン

今週も火曜早朝スタート、今日は住吉区子ども子育てプラザで3件面談支援+住吉区役所会議😀

週末は必要があってたくさんクルマを運転したのだが、どうもいちいちの判断が鈍臭くて困った。駐車を手こずったりアクセルを踏み過ぎたり、最近あまり運転していなかったとはいえ、20代の頃は富山や長野や広島から仕事を終えて京都に帰るなんてことも日常だった。

高齢者デイケアの送迎運転のバイトも2年くらいして(福祉取材を兼ねて)、車椅子に乗ったおばあちゃんごと自動リフトを操作して1人で乗車介助も普通にしていた。

いろいろな営業車も乗り、アクセルの遊びなんかもすぐに覚えることもできた。事故もしていない。

ところが、ここ最近は自覚できるくらい運転が下手になった。原因をいろいろ考えて行き着いた結論は、

「老化」

ですね。つまりはあらゆる判断がのんびりとしている。まあなんとかなるだろ運転に、ズッポリはまってしまった。

考えたら僕の81才の母親の運転もそんな感じなので、普通なんだろうが、今まで過信していただけに、ああ反射神経って鈍るんだ、と実感できた土日(+月)だった。事故らなくてよかった。

左太腿はまだ疼くし、反射神経はこうだし、今こうしてデュアルライフ(大阪⇄徳島、今年で6年目!)を送るのもいつまで続くかなあと思った次第。

やはり、「対馬の手前の壱岐に別荘事務所を借りる」という秘密の計画をそろそろ起動すべきかもしれない(←秘密㊙️)。


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