もしあなたが雨ならば

18.もしあなたが雨ならば


死んだあと幽霊になったひかるの父は、そういえば生きていた頃、自分の名前は水星(みずほし)だったことを思い出した。

水星の意識は今は月の裏全体に広がり、そこからなぜか感じてしまう地球の妻と息子の息遣いに身を委ねていた。

そのふたりの息遣いは、時として絶望になることがあった。長く看護していた患者が死んだ時、妻の感情は黒くなり、息も重くなった。そんな時妻は、死んだ自分(水星)を思い出しているようだった。

息子のひかるも、時々、絶望に落ちることがあった。ひかるは思春期の男の子らしく、絶望に浸りながらも、それでも生きる力を持っていた。そのナルシシズムは、どうやら自分(水星)を呼んでいるようだった。

けれども、ふたりの要望に直接水星は応えることができなかった。

もどかしかったが、そんな時、水星は雨になって地球に侵入することにしていた。

妻の光瑠と息子のひかるが自分を呼ぶ時、直接触れることはできないものの、雨粒となってふたりを柔らかく包みこもうと、幽霊であり月面の裏の重力そのものである水星はそう心に誓っていた。

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その少し後、フジロックフェスティバルの泥まみれの道を歩くひかるを月の裏から水星はずっと見ていた。

泥の道の周りには、夜になると小さな無数の電飾が灯った。その光景は、月の裏からでも鮮やかに感じることができた。

が、ひかるはその道を歩きながら泣いていた。その涙は、やがて妻となるヒカリに今会えない寂しさから流れるものでもなく、死んだ父である水星に会えない寂しさから流れるものでもなかった。

その夜のひかるにとって、フジロックフェスティバルに降り注ぐ雨が重かった。その雨でぬかるむ足元も不安定で、彼を困らせた。一歩一歩に非常に力を必要とした。時に転びそうになった。

そうして懸命に歩くうちに、自分でもびっくりしたのだが、頬に涙が流れていた。父の死を彼なりに受け止め、またその父はなぜかいつも側にいてくれるような気がした。ヒカリは生きていたが、彼の心の中にいつも父はいた。

なんら悲しいこともなかったものの、彼は泣いていた。それを見て月の裏全体に薄い幽霊となって漂う水星はどうしようか迷った。

いつものように雨になって、息子を励まそうか。それとも今の彼は悲しくて泣いているわけではないのでそのままにしておこうか。

水星が悩んでいるうちに、フジロックフェスティバルの別のステージにひかるはたどり着いていた。そこでは水星の知らない若い女の音楽家がピアノを弾いていた。

その曲はバッハのメヌエットだった。正確にはぺツォルトの曲だったが、月の裏の水星にとってはどちらでもよかった。

その次にピアニストが弾いたのは、「ゴルトベルク変奏曲」の頭の5曲だった。そのゴルトベルク変奏曲は、これまで水星が聴いた同曲の中ではいちばん遅かった。

その遅さが、月の裏全体に広がる幽霊としての水星には居心地がよかった。

幽霊は、パンクロックやデスメタルやグールドの速いバッハにはついていけない。できるだけゆっくり奏でてくれる曲だけ、幽霊の水星には聴き分けることができた。

そのスローなバッハは、フジロックフェスティバルの小さなステージ前で聴くひかるにも衝撃を与えたようだった。

ゴルトベルクの後はバッハのインベンションをその女性音楽家は弾いた。そのインベンションもすごく遅いインベンションだった。

ひかるの頬にはまた涙が流れていた。今度は、雨のぬかるみに痛めつけられて流れた涙ではなく、遅い遅いバッハの旋律により溢れ出た涙だった。ひかるの涙は止まることがなかった。

その光景を見て、月の裏全体に漂う幽霊の水星も泣いていた。いつもであれば、泣く息子を励ますために、自分は細かい雨となって息子を静かに包み込んだ。

だがそのフジロックフェスティバルのバッハを聴いた父と子は、父は幽霊ではあるものの、息子を慰めたり何か悲しい出来事で泣いたりする事態ではなかった。

ただ、そのスローなバッハがふたり(1人は月面にいる幽霊だが)を慰めた。また励ました。

「まるで」と月面の幽霊の水星は言った。「まるで俺の仕事を奪っていってくれたな、このバッハは」

「パパ、今晩くらい休んでいいんだよ」月の裏に広がる父の気配を感じたのだろうか、ひかるは上を向いて言った。「バッハが僕らにはいるよ」

「ナマで聴きたかったなあ」月面の幽霊の父は言った。「ここからじゃあ、今ひとつ打鍵感が伝わってこないんだなあ」

「パパ、死んでるのに贅沢すぎるよ!」ひかるはそう言って、目の前で奏でられるスローなバッハに再び身を委ねた。曲は最後の曲、再びの「メヌエット」がまた奏でられていた。それは葬送行進曲のように遅かった。

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その頃アキラは京都の家で、もう何十年も前に西表島に行った新婚旅行のことを思い出していた。ジャングルがほとんどで、あとはコンクリートの家とアスファルトの道、というのがアキラのその島の印象だった。

少し前に病気で死んでしまった夫が運転していたその新婚旅行の西表で、彼女らはイリオモテヤマネコを見たのだった。

それは死んだ夫の目撃談で、アキラは今も信じてはいなかった。夫はけれども執拗に、あれはイリオモテヤマネコに違いない、と繰り返した。

それは京都に帰ってきてからも同じで、カナタが自立し結婚し出産し、そして夫自身が病で倒れるまで、時々つぶやいた。

「あれはあのネコに違いないよ」

そんな夫の囁きを、最近アキラはよく聞くようになった。それは幻聴なんだろう。ドライなアキラは笑ってつぶやいた。わたしにもそろそろお迎えがきたかな。

死んだ夫は、ひかるの父の水星のような人格をもったものとして残存することはなかった。その夫の「力」は、時々思い出したようにアキラをやさしく包み込んだ。

その包みこみ方も、やはり雨だった。

だからアキラは、時々傘をささずに雨が降る道を歩いた。その雨をもちろん夫だとは思いもしなかったが、そうして小雨に打たれて歩いている時に限って彼女は亡き夫を名前で呼べた。

「明星(みょうじょう)、やっとあのネコをわたしはイリオモテヤマネコだったと思えるようになったよ」

すると、小雨が10秒だけ小さなヒョウに変化した。

「痛い、痛い」アキラは笑って頭に手をやった。「許してよ」

もちろんヒョウは小雨にすぐに戻った。おそらく、明星に意思は残っていないものの、アキラをいつも包み込もうという欲望は残っているようだった。

「もしあなたが」と、小雨で濡れた髪をつまんでアキラは言った。「もしあなたが、雨ではなくあなたであれば」

彼女はそう言って上を向き、静かに泣いた。「まあ、わたしはまた、死ぬまでにもう一度イリオモテに行くよ」

おそらく、明星の意思は空気に溶け込み、小雨だけにその時はなっていた。小雨そのものは応答できず、静かに降り注ぎ、泣くアキラの頬の上に、自らを重ね合わせた。

「ありがとう、明星」とアキラは言い、髪をつまんでいた指を離して自分の頬を撫でた。

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