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陰謀論との付き合い方②

前囘の續きを書いていく

結果的に陰謀論の情報を取り入れた結果學ぶことができなくなってしまった

なぜか??

この世界で生きていくことに絕望を感じ、行動する氣力をなくなってしまったのである。

なぜ行動するのか?私に何ができるのか?

といった疑問を心に問いただしたとき私は身動きを取れなくなってしまったのである。


當時投資家として生きていくことを志した私が感じたのは

やっていることは支配者と變わらない自分を恥じてしまったのである。

陰謀論界隈で有名な三角形の土臺の層(奴隸層)にもの(アイデア)を賣りつけ金を儲ける。私は支配者になりたいわけではない。

與える人になりたいのだ。と


私は約2か月の閒なにも學ぶことができなくなってしまった。

というより頭に入ってこないのである。

結末、終わりが見えるというか結局お金に縛られ離れていく人、最後に何のためここまで行動した自分の意味を感じられなかった未來の自分しか想像できなかったのである。

友人に向けて送ったメールがある。

恥ずかしながら揭載する。

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多分今世僕はお金を稼ぐことはできないだろう。
資本主義に抵抗があり、
奴隸化の一部になりたいと思わないからである。

世界を動かしているのはそういった方々だろう
投資家は合理性を選ぶ。
情も淚もない。
ただ得することだけを
選擇していく。

が、、
それを選擇することは
この社會で有能と判斷される材料となる。

どちらも切り離すことはできないし、偏ることは日本社會では不可能であると感じる。

バランスを保ちつつ
資本主義と戰う事が私が進むべき道なのかもしれないと思った。

人はバランスを保って生きてる。
變化は表情、體型、態度樣樣なものに現れる。

人として產まれたのであれば
人としてバランスを保ち(情熱と冷徹の閒で)生きていきたい。

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しかし、

ここ2日閒で意識が變わったことがある。

漫畫を讀み更けていたのだがふと氣づいたことが2點あった。

1.神を名乘るものには感情がある描寫が多い。

2.大昔の人々は直感を「神の聲」と表現した。

噛み碎いていく

1.アニメ、漫畫で描かれる神の描寫は「全知全能」ではなく感情がある。これは聖書、シュメール神話なども同樣だ。目的の爲の犧牲は問わないが必ず自分の感情を通したうえで行動する。

また、どれが正しいといった描寫も餘りない。

一括り「神」である。優越もそれほどないと感じられる。

つまり、正義とは現世においての感情なのであって次元が變われば正義も變わることを意味している。

つまり、正解はないのだ。

ただ、神として描かれるキャラクターは自分の感情に「ブレ」がないのことは感じられる。

2.「神の聲」(啓示)を聽いた。。このフレーズはよく耳にかもしれない。

イエスキリスト、ジャンヌダルク、織田信長も?

現世に語り繼がれる多くの著名人が使用していた。

現代科學に言い表すとこれは「直感」つまり、シックスセンスである。

目に見えないものが聞こえる、多くの人が見えないものが見えるといった現象である。

もし、この「神の聲」が事實だとした場合。

多くの場面で戰いに勝利することが正義ということになる。

つまり、戰うことを肯定しているのだ。


1と2の要素を組み合わせ、私の現狀に例えると

私の感情に赴くまま支配者に屈することなく戰い、打ち勝つことを意味している。

三國志軍司諸葛孔明の言葉を述べる。

善く將たる者は、天の時に因り、地の勢に就き、人の利に依る

良心を持った將は神の場所におり。時に人の力を借りて戰いに打ち勝つ

私が善だとするならば、今している行動自體が神に道に續いていることを指しており、逆に何も行動しない人生が行いを神への(生命が限られた人生への)冒涜ではないかと私は解釋した。

私は周りの環境に自分の感情を左右されやすいことを知っているせいか、周りに强氣な發言や、意見が合わない人を近づけたがらないが一步引いて接することを意識していこう(人の利に依る環境を作る)

私の行動が天に續いていることを信じまた、人を愛し他人の背中を押せるよう今後も勵んでいきたい。

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