チムチムチェリー 2

店に立たなくなった。
色々な理由があるけど、一番の理由は異業種に挑戦したくなったからだ。

飲食店をはじめる前は、叔父のもとで洋服を売っており衣料品業界なりのジレンマがあった。
お客さんと一緒に一生懸命悩んで買ってもらった服がシーズンごとに型遅れとなってしまうこと、付き合いが長くなり俺を洋服屋として応援してくれるほどに着ない服を増やしていってしまうことだ。
洋服を流行らせるインフルエンサーが居るような錯覚があり、一般の人のある層はそれを目指し服を買うのだろうが、実際はヨーロッパのどっかで何シーズン先かのトレンドの素材や色を決めるところがあって流行はある程度操作されているのだった。
古着屋さんや自分で作る洋服を売る人はこのようなジレンマを抱えることは少ないだろうけど、それを知りながら馴染みのお客さんに期限付きのような服を買ってもらうのは不誠実な気がしていた。このジレンマには様々な対処法があるとおもう。
俺がそんな悩みのなか手伝いにいったテキヤはとても気持ちのいい仕事だった。
祭りなどの賑やかな場所に行き、必要としている人に自分のできる精一杯のものを提供する。
それまでの商材が叔父が仕入れた洋服だったので葛藤があったが、自分の作った料理ならば何のジレンマもおきないと考えた。
それで飲食業を始めようとおもいたったのだった。
実際自分で店を作り自分のハンバーガーを知らない人が食べに来てくれた時はとても感動した。ぼちぼち来るお客さんと話しながら店に立つのはとても心地が良かった。
しかしお客さんが増え、お客さんと会話の機会が減るごとに下積みや修行もしていない俺が作ったハンバーガーを提供することが心苦しくなっていった。
一時は厨房を任せていた頃もある。
だけど、自分の想うハンバーガーというものを理解してもらえずに、自分の想うものとは違うものが提供されることになってしまった。これじゃ本末転倒だった。

家族に店を手伝ってもらうようになってからは感覚が一変した。
家族は俺の意向を汲んでくれた。家族だということは大きいだろう。店での振る舞いや身なり調理場の状態なども全面的に任せられると安心した。
そもそも、店舗にも味にも自信があったので自分が提供するということさえ除けば何もストレスを感じずに済むのだった。開店当初からできるだけ自分の知らないお客さんに来てもらおうと努力した結果できたことだとも思う。
そう気づいた時俺がこの店に居なくてもいいとおもった。
だから飲食店を離れることにした。
そして、飲食業を始めた時と同じように異業種に転業することにしたのだった。

現在、俺は建築系の仕事をしたくて当てずっぽうに電話した解体屋さんで働いている。
最初は建築したいのに解体てどうなんよって思っていたが、今は結構気に入っている。
まず大きいのは廃材をしこたまもらえること。また住居から大きな商業ビルまで解体するのでどんな素材がどう使われているか、どう空間を区切っているかなど勉強になる。
大工より多様な建物をみることができるし、様々な工法や職種の仕事を想像し体験した気持ちになれる解体は毎日刺激的で自分に合っているとおもっている。

だけど今店に来てもらっているお客さんに会えたはずの機会を逃しているのが唯一の心残りだ。その出会いが一時期悩んでいた俺を勇気づけてくれて頑張らせてくれたからだ。
みんな癒されたかったり、非日常をもとめたり色々な理由で飲食店に向かうのだろうけれど店に立つほうも来店してくれるお客さんがたから癒されたり、刺激をうけたりしています。少し出掛ける準備をするのも大変な昨今ですが精一杯飲食業を応援したいですね。

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