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配信を休んで考えてること

私のツイッチ配信に関してのバックグラウンドについてはこの記事をご参照ください。

居場所の提供

配信は見る側にとって何のためにあるのかなと考えてみると、居場所の提供なのかなというところにぼんやり着地しました。いろんな種類のニュースとか技術情報とかいわゆる”役に立つ”動画がありますが、リアルタイムの配信の場合見る側にとってそれらとは質が違って、情報を摂取しに行く場所ではなく、雰囲気を得に行く場所なのだろう。

もちろん映画や音楽のようにそれ自体をエンタメとして楽しむという性質はあるけれども、その性質を抜いた時に残るものは何なのかといえば、雰囲気なのだと。性質としては、さまざまな種類のコミュニティーがあるうちの、サークルやゲームのクランのように能動的に何らかの目的を持っていく場所というよりも、家や学校や会社のように、受動的に、なんとなくそこにいるための場所に近いものをイメージしています。

そこに重要なのは、刺激ではなく安心感なのだと思うのです。自分のわかっていることしか起きない、安全な場所、そういうものが主たる要素だと。

オキシトシンが出る場所、と言い換えられそうです。達成感を味わいに行くのではなく、人とのポジティブな交流、例えばありがとうって言ったり言われたり、人に何かをしてあげたりとかそういう。性別に絡めていえば、自分には優しい強い雄とか、庇護欲を刺激する雌とかといっしょにいるとかそういう。

そういうような場所の一つを提供するのが配信の役割なのだと。かつてこの場所はラジオとかテレビが担っていたけれども、結局それは一方通行上の妄想なので体験として弱く、居場所の提供の役割は配信にとってかわられていく。

と、いうわけで、配信には実用、エンタメ、居場所の提供の三要素があって、居場所の提供が主たる要素であるという結論のこの文書。何のために書いたかといえば、自分が配信するうえで自分のロールは何なのかをはっきりさせることでプレイに集中することができて快適という話です。今日はこのロールで行こうかナみたいな。

ちなみに、いわゆる面白い配信をしようみたいな志向は、エンタメと実用(趣深さ)に分類することができて、この文書の趣旨から見ると、方法であって目的ではないといえます。三要素のうちどれかに極振りをすればいいということではなくて、楽しさを提供することで居場所が出来上がっていく、というように、構成要素の一つとして楽しさがある。

これは配信の本質とかそういう話ではなく、配信の様々な解析方法の一つです。おしまい。

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