自由であるが故の抑圧と不自由さによって得る解放。

はい。こんにちわ。 歴史の事を考えてました。

と、いうのも、この前にイタリアに旅行に行った時のイタリアの雰囲気と普段から私がもっているヨーロッパに対するイメージが全然違う。

何が違うかというと。

思ってたの       =   日本国憲法にあるような誇り高き国

見てきたの    =   イタリアのゆるゆるの国民性

あれ~ なんか違うな、、、

なんて思って今、世界史の教科書を読みなおしてみました。

結果、何が違っていたかというと、私が持ってたヨーロッパのイメージは、北欧の社会自然主義的なヨーロッパの姿だったんですよ。 

はい、ここで考察なんですが、これは誰が持ってきたかと言うと、日本はもともとの社会がヨーロッパでいう社会主義的な性格を持っているのだと私は思うんですよね。 君主の元で共同で労働し生きていくと言う国がたくさんあったんですよね。日本には。 よく「おめぇ国どこよ。」っていうじゃないですか。 あれ昔日本がいろんな国に分かれていた時の名残だと思っています。

逆に資本主義的な自由民主的な思想は慣れてないんです。 

封建的な地域の有力者主権の共産社会主義と言うのが、江戸時代から続く一つの型である。 

大日本帝国の頃には、西洋のまねをして、日本にあった近代国家の枠組みを試作してみたんですよ。 案外と日本国民には適合していたと思われたのですが、初期にうまく行き過ぎた結果、おごりを覚えて手を広げ過ぎて修正も効かずに自滅の道を選び破綻した。

何かが破綻しないと気付かない性質は、あんまり成功に慣れていなくて、成功したら成功の上にあぐらを書いてそれを貪る性質にあるのではないかな。なんて思ってたり。

はい、、、


何故かという考察も少しばかししました。

①あまりに安定した封建主義体制の上に議会民主主義を持って来てしまった為に、自由の行使に慣れていない。 

②自由を行使し過ぎた結果に起こった治安の悪化よりは、一部の不自由はあるが安定した統治のもとでの秩序があり安心した生活を望む国民性がある。

この二つの対立が今起こっている事だと思うんですよね。 ただ、今、国際競争の渦中にいやおうなしに放りこまれてしまっている現在、秩序の安定ばかり求めてのほほんと暮らしていると、ただ近隣諸国に経済的に蹂躙されるだけの存在の国になってしまうと言う現状。 ああ。世知辛い世の中じゃ。

さて、これ、世の中の中で何が足りていないのか??? 豊かさ??? 日本としては、先に豊かになりすぎたのでしょうね。 中国を見ると今まさに豊かになっている途中ですし、東南アジアや世界の諸国を見るとそれほど、豊かさを享受している国は多くは無さそうだと感じています。

その豊かさを享受していない人達が豊かさを求めて日々活動しているのです。 豊かさの総量が変わらないとしたら、自分の取り分は足りなくなるのは自明です。 ですが、豊かさの総量のうち必要な物だけあれば、幸せだと思う生活は送れますし、増やしていくこともできます。  さて、私はどうするべきなんだろうな??? と、考えた時にどうするかを考えると。 誰かがもしかしたら欲しいかも知れない豊かさを、自分のできる事でたくさん作りだしたり減らないようにして、誰かが受け取れるようにしていこうと考えています。

今現在の結論ですが、私の今の行動の指針であります。

そして、ですね。もうひとつ気になったのが、

①今の政治の枠組みは古代アテネ・ギリシャの哲学者あたりが元になっていて、宗教は、メソポタミアあたりで色々と統廃合を繰り返して現在の宗教の元になっているのでは無いか。

②自然宗教として、ヒンズー教 日本の神道 中国の道教。 と仏教がミックスされて思想とかも発展してる。

③中国の政治官僚システムは日本の元になってたりする。 

④日本の手形法とかって日本的な経済システムなんだろうか? 経済とか社会システムは、独自路線の延長なんだろうか戸籍とか思う。

⑤キリスト教は、厳しい時代を生き抜くのに向いているが、豊かになると腐敗するのと、豊かさを罪として貧困でいる事を作り出されたりする。

⑥江戸時代は、統治と、消費、生産とかをうまくバランスしてる。 例えば、武家がお金を持ちすぎると戦争を起こすから参勤交代で定期的に散財するように仕向けていたり。 文化の発展もあって、そういうものを見ると、楽しみはあったんだろうなって見て取れる所。 何かと何かを対にしてバランスを取るという事が各所で見られます。

さて、そんなことを雑感として思いましたが明日からの生活は特にはおんなじです。 思いついた時に書き残して無いと忘れてしまうので書き残しておきます。

それでは、皆さま、おやすみなさいませ。

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