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台湾ひとり研究室:本屋編「台湾情報を発信するテキストメディアを概観してみた。」

先月から、台湾在住ノンフィクションライターの近藤弥生子さんがVoicyのパーソナリティーをスタートされ、折に触れて聴いている。先日、マレーシア在住の野本響子さんをゲストに迎えたトークで、日本向けの発信についておふたりが抱えた共通点を話していた。

野本さんの実践例はぜひVoicyを聞いていただくとして、ここではその派生話題として、改めて台湾についてのメディアの変遷を整理してみようと思う。取り上げるのは主に雑誌、書籍、Webメディアで、時期は2000年以降、日本の一般読者向けたメディアの変遷を辿ってみる。

いかんせん個人的に読んできた、あるいは見聞きしたことが中心なので(あの本がない)(あの情報がない)といった不足がある。目的は個人による概観ということで諸々お目こぼし願いたい。今回は主に有償によって書かれたテキストであることも、お含みおきいただきたい…とあれこれ言い訳がましいことから始めたが、どうぞご容赦を。

雑誌が開いた台湾への波。

タレントの渡辺麻里奈さんが台湾観光局のイメージキャラクターになったのは2001年。当時はまだインターネットが普及する前で、情報といえば雑誌が中心、という時代のことだ。麻里奈さんはガイドブックの出版をはじめ、各種メディアに露出していた。うっすらと彼女が台湾茶を紹介していたのを覚えている。彼女のタレント活動を通じて、テレビや雑誌で台湾の情報に触れた人は多いのではないだろうか。

現地コーディネーターとして、雑貨店主として活躍する青木由香さんが『台湾 ニイハオノート』(JTBパブリッシング)を出したのは2006年。台湾在住者目線のエッセイは軽やかな文体で、台湾旅行する人が続いた。この前年、台湾で『奇怪ねー台湾』を出し、5年後に日本に逆輸入され、同タイトルで東洋出版から出されている。女性をターゲットにしたガイドブックが出てきたのも、2000年代に入ってからだろう。女子旅など、コアなリピーターが増えたのも、このあたりからと思われる。

2011年、東日本大地震被害への義援金が台湾から届けられた返礼として女性誌で台湾特集が組まれるようになった。これは青木さんと信頼関係を築いていた女性誌編集部との企画が始まりだったと聞く。2010年代に入り、雑誌メディアの競争は激化し、どこも生き残りのかかった時期である。そんな中で、台湾特集はひとつの波となり、マガジンハウス各誌、他社の女性誌、そして男性誌や一般誌までも台湾を特集するほどに成長していった。

新型コロナが爆発する2020年春までが、台湾のガイドブックの最盛期だったといえる。

翻訳書の開拓という扉。

雑誌の動きと同じ時期、台湾文学を日本のマーケットへと売り込む動きも始まっていた。故天野健太郎さんが台湾文学翻訳家という看板を掲げて、台湾・香港の一大ベストセラー『台湾海峡1949』(龍應台著、白水社)を出したのは2012年だ。物語の新鮮さはもとより、翻訳と感じさせない文章の精度は素晴らしいものだった。同書を皮切りに、黃碧君さんと天野さんは、自分たちがいいと思った書籍の企画を日本の出版社に売り込みを重ねていく。

それより前に出された翻訳書はあるが、選書から出版後のプロデュースや宣伝活動までをカバーし、本格的な台湾文学の企画売り込みをかけ、それを継続させたのは、おふたりの力だろうと受け止めている。

多くの版元で英語以外の言語が扱われない最大の理由は、担当できる編集者がいないからだ。だから、翻訳以外にも台湾側の版元との交渉、イベントを含めた著者のプロデュースも含め、堅実な売り込みが実を結ぶようになり、徐々に花開いてゆく。2021年は、10冊を超える台湾作品が日本で翻訳書として売り出されたと聞く。その道は、黃碧君さんがのちに結成した版権エージェント太台本屋tai-tai booksをはじめ、国際版権業務を行う人たちとそれを受けて上質の翻訳を届ける人たちの力によって、切り開かれてきたものと受け止めている。

映像作品への扉の可能性。

映画情報の老舗、キネマ旬報社から『台湾エンタメパラダイス』が創刊されたのも2011年だ。以降、2018年まで20号が出され、台湾の映像作品に関する情報は、このムックで一気に理解を広げることができた。

2001年に開設されたサイト「アジアンパラダイス」で提供される情報は充実している。金馬奨はもちろん、台日双方の映画祭も取材を重ねている。さらに、監督や出演者のインタビューは通訳付きで音源も提供されており、台湾映画の動向を知る大きな助けになる。「アジア」なので台湾以外の情報も含まれるが、それもまた、視野を広げる一助になるだろう。ちなみにわたし自身、日本にいた頃はここで台湾映画の公開情報を入手し、映画館に通った。貴重な情報源としてお世話になっていたことも付記しておく。

2021年には「台湾映画の現在」というタイトルで、雑誌ユリイカで特集が組まれた。前述のムックでは映画もドラマも含まれていたが、同誌でメインで紹介されたのは劇映画だ。台湾では、ドラマやドキュメンタリー映画も良質な作品が多く、Netflixや愛奇芸などの配信が映像コンテンツの主戦場となって新しい作品が生まれている今、また新たな発信が生まれるのではないかと大いに期待している。

書籍の潮流は復刻へも。

朝日新聞台北支局長だった野島剛さんが『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)を出したのは2011年だ。以降、『銀輪の巨人GIANT』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)など、時宜に応じた著書を積極的に発表されている。

作家として台湾から発信を続ける片倉佳史、真理夫妻には『旅の指さし会話帳8台湾』(情報センター出版局)、『台湾に生きている「日本」』 (祥伝社新書)などロングセラーが多い。その長期に渡る圧倒的な取材体験が『台湾探見―ちょっぴりディープに台湾体験』という1冊になったのは、2018年のこと。観光や歴史を深掘りしたおふたりの足跡が書籍になった背景には、読む側の基礎体力がついてきたことも一因にあるのではないかと推測している。

幅広いテーマで執筆活動を続けるのは平野久美子さんだ。『中国茶・アジアの誘惑―台湾銘茶紀行』(ユネスコ)、『テレサ・テンが見た夢: 華人歌星伝説』(2015年に文庫化、ちくま文庫)、近刊に『牡丹社事件 マブイの行方 -日本と台湾、それぞれの和解』(集広舎)がある。

文学界に目を転じると、同名でドラマ化もされた吉田修一『路(ルウ)』2012年、乃南アサ『美麗島紀行』2015年、『ビジュアル年表 台湾統治五十年』2016年、東山彰良『流』2015年、そして2021年に芥川賞を受賞した李琴峰『彼岸花が咲く島』などがパッと思い浮かぶ。また、評論家の川本三郎『台湾、ローカル線、そして荷風』(平凡社)は、雑誌『東京人』で2015年から18年まで連載されたものが2019年に書籍化された。

この数年は、復刻版も相次ぐ。佐藤春夫『佐藤春夫台湾小説集-女誡扇綺譚』2020年、邱永漢の『香港・濁水渓』や『わが青春の台湾 わが青春の香港』2021年(以上、中公文庫)など、読んでおきたい書籍が手に入りやすくなったことを大いに喜びたい。

ネット上のコンテンツ基地ふたつ。

台湾旅行をしたことのある人なら、知らず知らずのうちにお世話になっているのが「台北ナビ」だろう。レストランやカフェ、ホテルなど、旅に必要となる事柄を案内してくれるサイトだ。公式サイトには、同社設立が2007年とある。サイトから予約も可能で、日本語で探せて読め、理解したうえで利用できるのは旅の安心を届けているといっていい。台北といっているが、他地域や離島もカバーされているのもありがたい。ナビの他にも、旅のガイドサイトはあるが、情報量やカバー範囲という意味では圧倒的だ。

多言語で日本情報を提供するサイト「nippon.com」には、2022年4月19日現在、台湾で検索すると1,232本の記事がヒットする。さかのぼると、2012年に発表された川嶋真さんの「日中・日台の1972年体制の行方」がタイトルから台湾に言及された最初のようだ。

以来、日本統治時代から現代、政治ネタからカルチャーネタまで、また多言語による発信でもあり、日本人だけではなく、台湾人の書き手も含めて、さまざまな切り口で原稿が寄せられている。ここから書籍になった企画も複数出ており、台湾に関する大きな発信地といっていい。

包括的切り口と特化されたテーマ

先日、改訂版の出た『台湾を知るための72章』は、文字通り、台湾を知りたいと思う人たちに向けた入門書としてまとめられたものだ。編者の若松大祐さんと赤松美和子さん含め、台湾研究に関わる総勢42人の著者が、それぞれの専門とする項目を執筆する。

同書の初版が『60章』として出されたのは2016年。それまで歴史関連やテーマ単体での書籍はあれど、台湾全体を見渡し、理解しようとする際の手がかりになる書籍はなかった。こうした間口を広げる取り組みは、台湾理解を広げる大きな一歩となるものだ。

2016年といえば、蔡英文が総統に就任した年だ。当選直後、『蔡英文 新時代の台湾へ』(前原志保監訳、白水社)、『蔡英文自伝―台湾初の女性総統が歩んだ道』(前原志保訳、白水社)など、関連書籍の出版が相次いだ。台湾総統の単著としては陳水扁『台湾之子』(毎日新聞出版)もあるが、立て続けに何冊も出版されたのは、注目度の高さの表れだろう。

そして登場したビッグウェーブが、デジタル大臣のオードリー・タンさんだ。近藤弥生子さんの『オードリー・タンの思考』(ブックマン社)、アイリス・チュウさんと鄭仲嵐さんの『Au オードリー・タン 天才IT相7つの顔』(文藝春秋)をはじめ、最年少での入閣、飛び抜けたスキルをもつ彼女の存在はもとより、彼女も加わった台湾政府のコロナ施策の鮮やかさによって、日本における課題がより鮮明になったことが大きい。施策はもちろん、オードリーさんのクレバーさはテレビ、新聞、雑誌を通じて日本へと伝えられた。その取材セッティングもまた、関係者の協力があってこそだ。

個人体験を辿ると…?

上記のような状況のもと、ライター個人としての道のりを記しておく。台湾での定住が決まって、わたしの元へ編集やガイドブックの依頼が舞い込んだ。そこで、海外在住ライターの執筆環境の厳しさを知る。

一度、在住のライターたちが集まって、それぞれ感じる課題をシェアする場を設けたことがある。スケジュール、編集部とのやり取り、謝礼のあり方など、先輩方の対処法を学び、それを将来の交渉の参考にしてもらおうと、資料をまとめた(台湾在住で必要な方はお知らせください)。

ガイドブックではないライターの道はないものか、と思ったのは、わたし自身未熟で、観光記事が苦手なためだ。海外からの情報として日本で重宝されるのは、何はさておき観光情報である。ましてや旅行先ランキング上位の台湾にいてそれが苦手となると自分で道を作るしかない。

2016年に上阪徹のブックライター塾に参加した。ゲストだったポプラ社の編集さんのお声がけで「たいわんの本屋」というタイトルで台湾の独立書店を取材する機会を得た。また塾の先輩の紹介で、Yahoo!ニュース個人の編集さんと縁ができ、オーサーになった。2017年のことだ。

自分の発信はルポかも、と思ったのは1年ほど前だ。幸か不幸か、台湾に特化したルポライターを名乗る人はいない。社会的な課題にはいくつか個人的な実体験もあり、ドキュメンタリー好きも手伝って、自分なりに見えてきた台湾社会を日本に届けたいと考え、思い切って台湾ルポライターを自称することにした。本篇は、台湾に関するルポものってどうだったっけ…という確認でもある。

転換点とこれからの発信。

Twitter、Facebook、Instagram、YouTube、TikTok……SNSが発達し、情報はごく手軽に消費される時代になった。サブスクリプションという枠の中にあるものが利益を得る時代へと移行し、作り込まれた個別の情報コンテンツにお金を払う時代は、徐々に幕を閉じようとしている。

今回、大まかな流れをまとめてみたつもりだが、改めて思ったのは、2011年が大きな転換点になっていることだ。東日本大震災のあと、台湾から寄せられた多額の義援金は、綺麗さっぱり台湾のことを忘れてしまった日本人を振り向かせる、大きな契機となった。この年にあちこちの出版社の企画会議を通過し、ようやく発信できる状況が生まれてきたと考えられる。

台湾に関する発信の課題はこの先にある。

ひとつだけ分かっていることは、台湾を見る/台湾に生きる人たちにとって、目の前の台湾すべてが情報源であることだ。日本に伝わっていない台湾の姿はまだある。とりわけ在住者は、日常生活そのものがリソースといっていい。語学学校、大学、会社、家族など、在住者が見ることのできる台湾の姿は、日本にはないものばかり。道端で見かけた出来事も、台湾人の友達やパートナー、家族とのやり取りなど、台湾のエピソードは日常にこそある。人が違えば視点は違い、その人オリジナルの台湾情報へと熟成される。

だが、気をつけねばならないこともある。適当な情報は、淘汰される。衝撃的な話題は、一過性で終わる。表面的な理解は、見破られる。だからといって、これが正解!みたいなものがあるわけではない。

発信の空間は時に小さくもなれば、大きくもなる。継続して台湾の情報を発信していくことが、いずれまた大きな波が来た時に、大いに生きてくるはずだ。次の波がいつ来るのかはわからない。ただ、2011年に開いた突破口を閉じないよう、つないでいきたい。そして、いろんな人の書くテキストで台湾そのものをオープンにしていくことが、理解する人や知りたいと思う人を増やしていくことにつながるんじゃないかと思うのだが——果たして、どうだろうか。

なお、今回は台湾の食や歴史にまつわる書籍には触れられなかったが、この両者は別途、まとめようと思う。

勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15