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何の為に


立命館大学体育会サッカー部の引退ブログにて書いた文章ですが、自分のnoteにも残しておきます。

「何の為にサッカーをしているのか。」
「何の為に生きているのか。」


この問いに即答できる人は少ないのではないだろうか。

自分も一年前まではそうだった。

サッカーが楽しいから。サッカーが生きがいだから。
プロになりたいから。良い企業に就職したいから。
良い人生を歩みたいから。

多くの人がこう考えるのであろう。
もちろんこれらも重要であると思う。
でも自分の中で感覚的な「薄さ」を感じた。

じゃあ、体育会じゃなくても良いじゃないか。

結局何の為なのか。

それを学ぶことができた大学サッカーだと4年間を振り返り感じる。

特に主将を務めたこの一年。とにかくチームのことを考えた。

どうすれば良い組織になれるのか。
どうすれば強いチームになれるのか。
どんな言葉を選べば思いは伝わるのか。
みんなの顔を思い浮かべ、笑顔にするにはどうすれば良いのか。

本当に難しくて、分からなくて、厳しい状況にも見舞われ、挫けそうにもなった。

でも苦痛ではなかった。みんながいたから。
みんなの為に働けることは幸せだった。
そうだ俺は自分ではない誰かの為にサッカーをしているんだ。

何回も叱った。言い合いの喧嘩もした。怒られることも何度もあった。

それでもみんなのことが大好きでみんなを思い行動することがやりがいだった。

人は必ず一人では生きていけない
自分ではない誰かが作り上げてきたこの世界で、親に育てられ、仲間と苦楽を共にし、誰かが作った服を着て、食べ物を食べて、家に住み、様々な関わり合いの中で自分という人間が存在する。

「他者と共存しながら、社会を豊かにして行くための人間的成長
これが大学スポーツで得られる価値の一つである。

だからこそ“誰かの為を思い、誰かの為に行動でき、誰かの為に自分を犠牲にできる強さ”を持たなくてはいけないのだ。


さて最初の問いを少し変えよう。

自分はこれからプロの舞台に身を置く。

「これから何の為にサッカーをするのか。」
自分ではない誰かの為にサッカーをする。
家族を幸せにする為。
チームに勝利をもたらす為。
サポーターに感動、勇気を与える為。
応援してくれる全ての人に誇りを持ってもらう為。
子供たちに夢を与える為。

「これから何の為に生きていくのか。」
誰かの為に生きる。
それが本望であり、人生の使命であり、それこそが自分の為だから。


後輩たちへ
一年前の自分より、一ヶ月前の自分より、昨日の自分より一歩でも前に進め。

怪我をしたとしても、試合に出られなくても、試合に負けても、どんな理不尽に見舞われても、言い訳せず、常にベクトルは自分に向け、自分にだけは絶対負けるな。

明比へ
お前が一番チームを好きになれ

立命館大学体育会サッカー部を応援してくださる皆様へ
今シーズンもコロナなどの様々な影響により、難しいシーズンになるかもしれません。ですが、本当に頼もしい期待のできる後輩たちが、新しく価値ある立命館大学体育会サッカー部を作り上げてくれると確信しています。
これからも立命館大学体育会サッカー部の応援の程宜しくお願い致します。


最後に

大学サッカーありがとう。

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