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【追悼オタオメ🎂】主婦・OL7名でギネスに挑戦!伝説の「エア大縄跳び」章を無料大公開!!

昨晩は講演会でした。
対談のはずだったのだけど、
講演になりました(笑)

事前ミーティングで
質問が7つか8つあったんですが、
2つしかできませんよね。

リヤカーで旅にも出ず、
もちろん、悦の話もほぼ無し。

考えてみれば、
俺がインタビュアーの時以外、
対談で対談できた試しない。

主催者の皆さん、
対談はヤメておいたほうが
良さそうですw

そんな
ファンマーケティングの専門家
“たなかつ”こと田中克成です。


久しぶりに
講演でオカンの話しました。
1冊目の『成功のバイオリズム』の
序章の話です。


かなり久しぶりだったので、
講演会で泣いてる方々を見るのも
久しぶりでした😂

2016年に出版したんですが、
クラハや悦本から僕のことを
知ってくれた方々も増えていて、

バイオリズムの話は初耳という
方もかなり増えてきたのかな。

残念ながら
『成功のバイオリズム』の
紙の本は絶版してて
中古以外に市場に無いのですが、

やっぱり必要な人がたくさんいるので
再販したいなと思いました。

以前から再販の話はあったのですが、
そのためには、ややこしい手続きを
いくつかやらなきゃなので、
後回しになってたんですけども、

ようやくそういう面倒くさいも
越えられる動機が湧いてきたかな。

それはそうと、
この本(成功のバイオリズム)の
人気の章で「エア大縄跳び」の
くだりがあります。

OL・主婦7名で、
24時間以内に1,000人を巻き込む
伝説のイベントを成功させる

という無謀で不可能極まりない
課題を見事可能にしてみせた
実話なのですが、

このイベントを主催した
株式会社ヴェリータの
故・金子登社長が
本日、歳を取らない誕生日を
迎えられましたので、

「エア大縄跳び」の章を
僕のブログをご覧の皆様に、
丸っと無償公開したいと思います。

かつて、こんなバカなことを
真剣にやっているスクールがあった
ということと、

元社長の金子登さんと、
SOB創業者で校長の
山志多みずゑさん(←生きてるw)
のご夫婦がリスク背負って
世の中にぶちカマした伝説を
ご覧あそばせ。

お気に入りの人生も、夢への挑戦も、
目標の達成も、窮地の抜け出し方も、
このようなプロセスで可能にできる。

不可能を可能にするための
課外授業の共有です。


↓ココカラ。

第1章 進化の法則――

進化には絶対的な過程がある

■1日で伝説のイベントを成功させる


 数年前のことになるが、僕が外部講師として担当したあるスクールでのイベント体験は、「超進化論」が本物の法則であることを決定的なものにしてくれた。

 結論から言うと、どこにでもいる普通の主婦やOLの7名が、1000人を動員しなければならないイベントの企画から達成までを、わずか24時間足らずで成功させたという実例だ。

 僕の友人に山下瑞恵さんというセラピストがいる。

 彼女が立ち上げたスクールの第1期生が、今も語り継がれる伝説をつくることになった。

 瑞恵さんから、そのスクールでの外部講師を委託され、僕が授業を受け持ったのは半年間スクールの5か月目。

「彼女たちの『無理、できない』という壁をぶっ壊したいから、あり得ない授業をやってほしい」との依頼だった。

 僕は、「超進化論」のバイオリズムを知っていることで、不可能と思えることも可能になる体験をさせてあげたいと申し出た。

 僕が伝えた授業内容は、生徒が水曜日に企画を立案し、木曜日に伝説と呼ばれるに相応しい規模のイベントをたった2日間で成功させる、というプランだった。

 このスクールのカリキュラムのすべては、次の期の生徒たちのために公開禁止となっていたのだが、イベント集客となるとそうはいかない。そこで、僕の授業に限り、一般公開の授業となった。


 生徒数は7人。全員が主婦かOLの女性だけ。

 生徒たちには、授業の内容は知らされないまま、初日となる水曜日の午前中に「超進化論」についての座学が行なわれた。

 僕が過去に担当した複数のイベント集客の実例を出し、「過渡期であきらめるか、あきらめないかで結果は変わる」ということを伝えた。

 昼食の時間を挟んで午後2時。いよいよ、この授業のミッションの発表だ。

「では、今回のミッションを発表します。明日、このメンバーで伝説に残るイベントを成功させてください。

 ルールは3つ。

 1つ目、伝説と呼ばれるに相応しい人数を動員すること。

 2つ目、参加者も含め、関わった全員を笑顔にすること。

 3つ目、お金は事務局の許可なく勝手に使ってはいけません。

 以上です」


 シーン……、という静寂が教室に走った。僕は構わず説明を続けた。


「では、進めます。伝説と呼ばれるイベントと言えば、何人ぐらいをイメージしますか?」

 端から一人ひとり聞いていった。

 生徒たちが話し合った結果、彼女たちが出した数は、1000人。

 さすがにその数は想像もしていなかったが、そうなるとこっちも腹を括るしかない。

「1000人達成までのプロセスも、さっきお話ししたバイオリズム通りになります」

と伝え、明日彼女たちが体験することになるであろう、達成までのプロセスをイメージしてもらった。


「最初は、『やっぱりヤメたい、1000人なんて無理に決まってる』とやる前にあきらめたくなります。でも勇気を出して始めてみると、最初の「成長期」では目標の半分、つまり500人前後の人が意外と簡単に参加してくれます。

 それから「停滞期」に入ります。全員のテンション下がる。まったく数は伸びない。

『無理ですよ』

『もう500人で十分じゃないですか』

『バイオリズム通りにはいかないよ』

とできない理由、やらない理由がいっぱい浮かんできます。

 でも、今さらヤメられない。

『やるしかない』と腹を括って、停滞期の次に来る「活動期」に移ってください。

 自分たちを鼓舞して、目の前のできることを一生懸命やる。少しだけ、参加人数が増えます。少しずつテンションも上がってきます。でも、残りの500人が集まるペースではありません。

 そのうち、殺伐とした雰囲気が流れ始めます。これが「過渡期」ですよ。

 過渡期でもあきらめずに頑張っていると、奇跡が起き……、ません。奇跡の代わりに、絶対絶命のピンチが訪れますからね。停滞期のピンチは、自分たちの気の持ち方ひとつですけど、過渡期のピンチは外から来ます。

『もう無理』『これ以上やったら大変なことになる』『こんなに迷惑をかけてまでやるのは正しくない』とヤメる理由を正当化してくれる具体的で絶対的なピンチが来ます。

 このピンチを全員の力で乗り越えると、誰も想像もしていない出会いがあります。皆さんが今、想像している人は全部違います。誰も想像できない出会いなわけですから。

その出会いが着火材となって2度目の「成長期」に入ります。勢いは止まることを知らず、カウントダウンが始まります。おめでとうございます! たった1日で、1000人動員達成という伝説が生まれました! ――明日は、こんなイメージで進みますからね。

 そして、今日これからやることは、どんなイベントをして1000人を動員するかの企画会議です。

 この会議も、さっきのバイオリズム通りに運ぶので、しっかり自分たちが今、何期なのか体感しておいてください。それでは皆さん、これからの企画会議を頑張ってください」


 そう説明して企画会議が始まったのだが、実際、バイオリズム通りに会議は進行した。

 過渡期を抜けて、一つのアイデアで盛り上がるも、現実的じゃないとなり、全員の口数は少なくなる。

「とにかく、現実的か現実的じゃないかは置いておいて、どんどんアイデアだけでも出そうよ!」という1人の生徒の呼びかけで、再びアイデアの数は増えていく。しかし、どれも決め手はない。

 夜の10時も過ぎて、いよいよ殺伐とした雰囲気。自宅でご主人とお子さんを待たせている人や、地方から参加してホテルに帰る終電が気になり始める人もいて、「無理」を前提にした話し合いが行なわれた。

 そんなとき、また別の生徒が、「私たちは自分の壁を壊すためにこの学校に入ったのに、みんな本当にそれでいいの? ご主人とか終電とか言ってないで、今日一日ぐらいやり切ろうよ!」と発言。

 みんなのあきらめモードにストップがかかり、より具体的なアイデアがどんどん出てくる。

 そしてついに、広島から参加していた女性が、

「わかった! エアー大縄跳び!」

 このアイデアに、みんなでエアー大縄跳びをしているイメージが鮮明に浮かんで大爆笑。

「それ面白いからギネスに申請しよう!」

「1000人集めるんじゃなくて、1000人以上の人が集まってる場所でやろう!」

「花見シーズンだから上野公園はどう?」

 彼女たちにどんどんアイデアが湧いてきて、「エアー大縄跳びを1000人に飛んでもらう」というイベントに決定した。


■絶体絶命のピンチでもあきらめない

 そして翌日、もう一度、全員に「超進化論」を伝え、エアー大縄跳びで1000人が飛び終えるまでのプロセスをイメージしてもらってからスタートした。

 花見客で賑わう上野公園の幅3メートルほどの道の両サイドに生徒が立ち、あたかも大縄をまわしているかのように、全員で声をそろえて「お〜はいんなさい♪ お〜はいんなさい♪」と目には見えない大縄を飛ぶよう通行人に促した。

 開始直後、最初に飛んでくれたのは、ご高齢のお婆ちゃん。

 まるで、お婆ちゃんにも縄が見えているかのように、タイミングを合わせてジャンプ!

 最高の笑顔で、

「飛べた、飛べた、懐かしいねぇ。子どものころによくやった大縄跳びを、この歳になってからできるとは思ってなかったわ。ありがとう」

とお礼を言って去っていく。

 みんなもとても素敵なことをしている気分になり、呼び声にも勢いが増した。

 すると、どんどん人が集まってきて、老若男女が次から次に見えない大縄を飛ぶ。

 その数、午前中だけで500人弱。

 嬉々とした気分で昼食タイムに入った。


 ところが、昼食で気持ちが切れてしまった生徒たちは、1時間が過ぎても誰も縄をまわしに行こうとはしない。

 そんな彼女たちに、学長である瑞恵さんがひと言。

「今、みんな何期?」

「あぁ、停滞期だ……」

と渋々、数人が縄をまわしに行くあとを追って、全員が腰を上げた。

「おはいんなさい……、おはいんなさい……」

 午前中とうって変わって声の張りもない。周辺で酒盛りをしている人たちは、ほぼ全員が午前中に飛び終えているので数も伸びない。

「まだやってるんですか?」

と呆れられたように声をかけられたり、通行人が露骨に迷惑そうな顔で避けて通って行ったりと、やればやるほど悪循環に陥っていく。

「場所を変えたほうがよくない?」

「もうここにいる人たち全員飛び終えたよ」

という意見や、

「誰も飛んでくれないのは、私たちがイヤイヤやってるからだよ」

「元気出してやろう!」

という意見が出て、もう一度、声を出してまわし始める。

「私、公園内を勧誘してくる!」

 そう言ってしばらくすると、別の場所にいた数名の花見客を連れてきて飛んでもらった。その様子を見た別の生徒も、辺りのまだ飛んでいない人たちに声をかけてまわった。

 友人に電話をかけ、上野公園に来てもらえないか打診してみる生徒もいた。

 午前中のやり方に頼らず、いろいろな方法でその数を増やそうと試みた。

 しかし、残りの500名に飛んでもらうには十分な数ではなかった。


 やがて、うなだれ始める生徒たちが現れ、その姿を見た別の生徒が発破をかける。その言い方に、また別の生徒が明らかに不機嫌そうな表情を浮かべた。

「オバさんたち、いい加減迷惑じゃね?」

「いい大人が何やってんだよ。よかった、ウチのオカンいなくて」

とわざと聞こえるように、花見席であざ笑う若者のたちの声が耳に入る。

 聞こえないふりをしても、自然と士気は下がる。

若者たちの心ない声にも負けまいと声をあげて大縄をまわす生徒、引きつった笑顔で通行人に声をかけようとしても声が出てこない生徒、勧誘に向かう足取りが重い生徒、すでにチームの結束はバラバラになっていた。

 そうこうしているうちに、待ちに待った絶対絶命のピンチがやってきた。

 向こうから真っすぐこちらに向かって歩いて来る3人の警察官。明らかに通報を受けてヤメさせに来た雰囲気だ。

「これは、さすがにアウトだな……」

と僕も正直そう思った。

「とりあえず、おまわりさんが通りすぎるまで一時中断するしかないかな……」

その矢先、1人の生徒が大きな声で、

「お〜まわ〜りさん、お〜はいんなさい♪ お〜まわ〜りさん、お〜はいんさい♪」

と警察官を呼び込み始めた。

 その声に合わせて生徒のみんなが、

「お〜まわ〜りさん、お〜はいんなさい♪ お〜まわ〜りさん、お〜はいんなさい♪」

 そのかけ声は生徒だけではなく、午前中に飛んでくれた人、さっきまで彼女たちを嘲笑っていた若者たちにも瞬く間に広がった。

「お〜まわ〜りさん、お〜はいんなさい♪ お〜まわ〜りさん、お〜はいんなさい♪」

と100名近くの大合唱。

 完全に不意をつかれた3人の警察官は思わず、

「い、いや、我々は職務中なので……、あの、あまり通行人の迷惑にならないようにやってください……」

と、90度進行方向を変えて別の道へと去っていったのだ。

 これには全員が大盛り上がり。

 僕もテンションが上がって、

「来るよ! 来るよ! とんでもない風を吹かしてくれるキーマン来るよ!」

と叫んでいた。


■成長期の入り口にまさかの出会いがある

 誰が来るのか、どんな風が吹くのか、とワクワクしていると、想像を超える風がやってきた。

 フジテレビの朝の人気情報番組『特ダネ』で花見の取材に来ていた名物レポーターの木下特派員だ。

 警察官のピンチを乗り越え盛り上がっている騒ぎに寄せられて、取材班たちを引き連れやってきたのだ。

「あの、すみません、何をやってるんですか?」

「エアー大縄跳びを1日で1000人に飛んでもらうっていう企画です!」

「アハハ、僕たち『特ダネ』の取材で来てるんですけど、インタビューさせてもらってもいいですか? 責任者はどなたで?」

 学長の瑞恵さんが取材を受ける。

 その後ろで、テンションが最高潮に高まった生徒たちが、「お〜はいんなさい♪ お〜はいんなさい♪」と声を張り上げる。

 木下アナもマイクを持ってエアー大縄跳びを飛びながら、「あ、けっこう楽しいです!」とコメントしている。

 テレビでお馴染みの木下特派員の他、カメラマン、音声さん、照明さん、ADさんたちと、仰々しい機材がひと際目立ち、午前中に飛んだ人たちも、また飛びに集まってきた。

「あっちのほうがやけに盛り上がってるぞ」ということで、公園中から様子を見に来た人々、飛び終えた人から話を聞いて駆けつけた人たちが、来るは来るは。

 さらには、フジテレビと同じように花見の取材に来ていた、日テレとTBSの取材班までやってきた。民放キー局の3社に、同時に取材されるなんてことを誰が予測できただろうか。

 1局の取材班が学長のインタビューをしているあいだに、他の局の取材班はエアー大縄跳びを飛んでいる人たちを撮影する。生徒たちや飛び終えた人にインタビューする。そんな賑やかな光景に、大縄跳びの順番を待つ長蛇の列ができていった。

 いよいよ、1000人達成のカウントダウンが始まった。警察官のピンチを超えてから、ものの1時間で目標の1000人を達成することになったのだ。


 このエアー大縄跳びの企画は、その年の某番組で年末特番として日本中で大々的に行なわれた。また、その番組の影響か、数年後にはアメリカで数万人規模のエアー大縄跳びが行なわれ、ギネス記録を打ち立てることになった。

 主婦やOLたちたった7名で考えた企画が、最終的に海を越えてギネス記録にも影響を与えることになったのだ。


■バイオリズムが開始するとき「過渡期」

 僕が、各地でお話をさせていただくとき、必ず最初にお伝えすることがある。

 次ページ図にある「超進化論」と名づけたバイオリズムだ。

 2010年3月から、500名以上の人生を、0歳から順を追って一年一年インタビューさせていただいた。

 その結果、「500人中500人が例外なく、ある一定のバイオリズムで成長していく」というバイオリズムを見つけることができたのだ。


図 成功のバイオリズム[超進化論]


 横軸が「時間」、縦軸が「成長のステージ」を表す。

 新しいステージは、「成長期」から始まり、「停滞期」→「活動期」→「過渡期」と進み、再びステージを上げ、次のスーテジの「成長期」に入る。

 もっともつらく、やることなすことのすべてが裏目に出る、という時期は「過渡期」に起こる。いわゆる「人生のどん底」と表現されるのもこの時期だ。

 過渡期には、身のまわりのあらゆる「者」や「物」が離れていく。

最初は、1人、また1人と、ゆっくりと離れ始める。

 ケンカや意見の不一致で、「もうこれ以上おまえにはついていけない」ということになったり、離婚や恋人との別れなども、この時期に起こる。

 経営者が、信用していた腹心に裏切られるのも、この時期。会社のお金を持ち逃げされたり、スタッフやクライアントが次々といなくなったり、横領が発覚したり、ということも起こるケースがある。

 仲違いの他にも、親友や人望の厚い上司の転勤や失脚、場合によっては、大切な人との死別、そうした様々な具体的な不都合が連続して起こることが過渡期の特徴である。

 孤独に陥り、八方塞がりで、意欲は徹底的に削がれていく。

それでもすぐに気合いや根性でなんとかこの局面を乗り越えようとするのだが、どうしてもエネルギーが長続きしない。

 状況は悪くなる一方。やがて、精神的にも体力的にも限界を迎え、残された最後の一手を打ち終わったあと、その一手も見事に空を切る。

 自分の実力のなさを悲観するほかないところまで徹底的に追いつめられる。

 孤独で、万策尽きて、万事休す。


 じつは、早々にこの状態にならないといけない。

 ここまで追い詰められたときのことは、古くからことわざや故事などで伝え残されている。いわゆる「背水の陣」「窮すれば通ず」「ピンチはチャンス」などといった言葉だ。

これらは単なるポジティブ思考の考え方だと思っていた。しかし、進化のバイオリズムが明らかになると、「昔の人は法則を知っていたんだ」という結論に至った。つまり、過渡期を抜け出すには、どこかで覚悟を決めて「背水」を迎えなければならないし、「窮す

る」ことが先決なのだ。


この状態から抜け出す選択肢は3つ。

 1つ目は、何もしないで時が過ぎるのをただ待つ。

 2つ目は、自らの可能性をここであきらめてしまう。

 3つ目は、「当たって砕けろ」の精神で、なり振り構わず前に出る。

 この3つ目の選択を選べたとき、俗にいう「覚悟」が決まる。

 決死の覚悟で動き出すと奇跡が起こる。それが想像もしていなかった人との出会いだ。

「窮すれば通ず」を体感する瞬間。「千丈の堤も蟻の一穴」の言葉通り、「当たって砕けろ」の覚悟で開けた一穴は、この「出会い」というかたちで報われることになる。

 次のステージへのブレイクスルーが起こったのだ。


■すべてがうまくまわり始める「成長期」

 ここで重要なのは、次のステージに一気に引き上げてくれる出会いは、今の人脈にはいない人物に限られるということだ。

 なぜ、今の人脈ではない出会いなのかは後述するとして、この時点で頭の中に思い浮かべられる人では決してない。

 もしかすると、まだその人の存在すら知らないかもしれない。あるいは、名前や顔は知っていても、まさか会えるとは思ってもいない人かもしれない。

 少なくとも、すぐにアポイントを取って会えるような人でもなければ、友人を介して簡単につながれるような人でもない。

 その人は、すでにあなたが抱えている程度の問題はとっくに解決し終え、次に進むべきステージで活躍している人だから、その出会いは「然るべきタイミングで訪れる」という他には説明のしようがない。


これまでのステージでやってきた価値観やプライドや常識、傲慢な自信さえも、過渡期

によって徹底的に破壊され、白旗を上げた状態での出会いとなるので、藁にもすがる思いで上のステージから差し出してくれるその人の手をつかむことができる。

 つかんだ救いの手を離さないよう、言われたアドバイスを愚直に実践する他に術はない。

 結果が出るのは当たり前。

 手を差し伸べた側からすると、「なんて素直なヤツなんだ」と感心する。

 そして、その人からの紹介を起点に、次々と新しい出会い、新しい仲間、あるいは新しい仕事や取引先へのご縁がつながっていくのだ。

 そのご縁の連鎖は、自分の力ではなく、誰がどう考えても、その人のおかげ以外にはあり得ない。明確すぎるほどに明確なので、「有り難い」「おかげさま」「感謝」という感

情が自然と溢れ出る。その感情は救ってくれた恩人にも当然伝わる。

 そこから先は、そういった心を常に持って、人にも事にも接することができるので、やることなすことがうまくいく。


 信用は蓄積され、どんどんそのステージでの人脈を築き上げる。

 これが、「成長期」に起こる現象だ。

 ずっとこの「成長期」にとどまることができれば理想的なのだが、残念ながら人は良くも悪くも、「慣れ」の生き物であるから、そう簡単にはいかない。


■自分以外に責任の所在を探す「停滞期」


「喜んでもらいたい」「感謝が大事だ」と思いながらも成長期の頂上に達すると、「有頂天」というターニングポイントを迎えることになる。

 次第に、「こんなにやってあげたのに、お礼の一つも言わないなんて……」「自分は大事な予定を脇に置いてまで時間を割いているのに、約束の時間に遅れるなんてあり得ない」というような、「感謝される」ことや「大切に思われている」ことを条件に、自分のモチベーションを維持しようとする。


 この時期を、自分のコントロール外にある人や物に責任を求める「停滞期」と呼ぶ。

 こうなると、やることなすことがうまくまわっていた歯車が崩れ始める。

 やる気はめっきり落ち込み、仕事や頼まれごとにも感謝されないから気が乗らない。こちらからの連絡も滞りがちになっていく。

 うまくまわらなくなった原因を自分以外の誰かのせいにし始める。

「あの人が◯◯をやってくれないから自分の作業が進まない」

「確認しなければいけないが、連絡が取れないのだから仕方ないじゃないか」

 そうやって、人や環境のせいにすることで、自分自身をなんとか保つことに尽力する。

 次第に、「どうせ自分なんて……」と悲観することが多くなり、少しずつ自信は削がれ、頭で考えるばかりで行動量は低下し、状況はますます悪くなっていく。


 このときに、「死にたい」とか、「消えたい」という感情がよぎることもあるが、停滞期での「自殺願望」や「消滅願望」には、実際に行動を起こすエネルギーはない。

 少し話は脱線するが、実際に僕がインタビューさせてもらった人の中にも、この「停滞期」に「死にたい」という消滅欲求が芽生えていた人も少なくない。

「そのとき、どうやって死のうと思ったんですか?」と尋ねると、「寝てるあいだに火事になって焼け死なないかな」とか、「道を歩いていたら後ろからダンプカーにはねられないかな」とか、「暴漢が突然目の前に現れて、勇敢に闘って殺されないかな」とか、死ぬ手段にさえも依存して、自分の力で死ぬつもりはゼロなので死のうにも死ねない。


■行動量が加速する「活動期」


「誰も助けてくれない」「誰も救ってくれない」という思いが極まると、「だったら自分

でやるしかない!」と一念発起して、積極的に行動を起こし始める。

「停滞期」の次のステージ、「活動期」への移行だ。

 大きなことで一発逆転を狙う自信はもう残っていない。

 目の前に放置してきた、誰にでもできる当たり前のことから手をつける。

 たとえば、整理整頓や、挨拶など、本当に普通のことからだ。

 ビジネスパーソンの人なら、お得意先への訪問や、出していなかった見積り案件の整理など、些細なことだ。


 以前に仏教の高僧から、「あとの祭り」ということわざの真意を聴いたことがある。

「『あとの祭り』という言葉の意味は、手遅れ、という意味でしか知られてへんけどな、それでお終いやないんやで。

 祭りのあとには、辺り一面にゴミが散乱しとるやろ。そのゴミを自分が捨てたゴミじゃないからと思って何もせぇへんのではなく、すべて自分の心のゴミやという気持ちできちんと掃除を始めることや。人生もこれと一緒やな。誰かて失敗はあるし、後悔もする。だからといって、そのたびにクヨクヨするんじゃなしに、あんたが散らかしてきたゴミも、そうじゃないゴミも、一つひとつ丁寧に拾い集めることからやで」


 正に、「停滞期」から「活動期」の移り変わりにやるべきことは、この大掃除だ。

 今まで見て見ぬ振りをしてきた誰にでもできる些細なことをやり始めることによって、失っていた自信を取り戻し、行動量を少しずつ上げていく必要があるのだ。

「活動期」に移り、大掃除を終えると、失速していた行動量が加速する。

 今までが動かなかった分、自分も他人も目を見張る動きで事に当たる。

 当然、周りからの評価は上がり、相談事や頼まれ事の案件も増えてくる。

 どの案件にもスピーディーに対応できるので、信じて用いられる「信用」が、信じて頼られる「信頼」に変わっていく。

 ところが、自分自身に絶対の自信を持つようになり、次第に、「俺が正しい」「私が正

しい」という傲慢さが再び現れる。頼まれてもいないのに他人にアドバイスをしてみたり、自分の善意の忠告を聞かない人がいると、強圧的な攻撃を加えたりもする。

「言ってもわからないヤツはダメだ」と簡単に人を見限ったりと、行動量と比例するように他人へのジャッジメントも強くなる。

 そんな傲慢な自分を省みることもなく突き進むので、やがて1人、また1人と周りから人が離れ始める。そして、すべてが裏目に出る「過渡期」に突入していくわけだ。


■子どもの頃からの性格は変えられない


 もちろん、何度もこのような経験を積みながらステージを上げていくので、馬鹿の一つ

覚えのように、この傲慢さを一生繰り返すわけではない。

 最初は、口に出して相手に言っていたことも、ステージが上がると腹の中にグッと収めて我慢できるようになる。自己啓発のセミナーや本などを読み、「すべて自分の責任」と

自分に言い聞かせることもできるようになるだろう。

 しかし、湧いてくる感情にはさほど変化はなく、ただ腹に堪える忍耐力が上がっていく、

というところから少しずつ人としての成長を遂げていく。


 僕が尊敬している経営者の一人に、前山亜杜武会長という方がいる。前山会長は、様々な事業を手がける一方、一般社団法人日刊スゴい人を立ち上げ、日本を代表する超一流の大人物に挫折から成功までの経緯をインタビューし、無料メールマガジンで毎日配信するという活動を行なっている。


 会長はインタビューのたびに、次の質問をしたという。

「子どものころからの性格は変えられますか?」

 ほとんどの人が、「変えられない」と即答したそうだ。

 子どものころからの性格は変えられない。

そのことについて、前山会長はわかりやすく説明してくれた。


「たとえばオモチャを買ってもらえなかった子どもが寝転がって『やだやだ! 買って買って!』と泣き叫んだりするだろ? でも、大人になったらそんなことしなくなるよな。

でも欲しいものは欲しい。湧いてくる感情は、子どものころからあまり変わらないんだよ。

 大人になるっていうことは、湧いてくる感情をコントロールできる精神力を身につけるってことだ。腹が立つこともあれば、愚痴を言いたくなるときも当然ある。でも、その感情をそのまま出すのは大人とは呼べない。子どものころから変わらない性分をグッと腹に収めていくことが大人の条件だな。特に俺たちは大人の男だから、そうすることは男の修行でもあるんだぞ」


 どんなにステージを上げても、子どものころからの性分は残ったまま。しかし、その性分をコントロールできる精神力を身につけることで、人は成長していくのだ。


■なぜ挑戦をあきらめるのか


 多くの成功者が、人生をつくっているのは他の誰でもない「自分自身だ」と語り、その

要因を「日々の選択によるもの」だと断言する。

 一概に選択と言っても、生産的な選択と、非生産的な選択とでは、もたらす現実に大きな違いが生じてくる。

 時間を無駄にする選択は、時間を無駄にしたに相応しい現実をつくり出し、時間を大切に扱う選択は、同じく、それに相応しい現実をつくり出す。


 そして、忘れてはならないことは、人間は「慣れ」の生き物だということだ。

 日々の選択は、知らず知らずのうちにパターン化し、無意識に繰り返される習慣となる。

 一度、身についてしまった習慣は、良きも悪しきもその人の人生をつくり続ける「信念」となって根強く残ることになる。「信念」になった選択の習慣を、後々方向転換することは容易なことではない。


 誰もが、人生を変えるための新たな習慣づくりに確固たる決意でチャレンジしたものの、三日坊主で元の生活に逆戻りしてしまったということを経験したことがあると思う。

 禁煙、ダイエット、筋トレ、早起き、ランニング、瞑想、ヨガ、読書、などは挫折した経験のある習慣のワーストに挙げられる代表格だ。これらの習慣を通して、自分を変えようとしたものの、習慣化に失敗し、やがて「なんとなく」日々を過ごす生活に戻ってしまっていた経験はないだろうか。


「なぜ、続けられないのか?」

という謎に真っ向から立ち向かったことのある人は少ない。

 なぜなら、その謎を突き詰めて考えると、「続けられないのは、自分の意思が弱いから

だ」という結論に達してしまうことに薄々気づいているからだ。

 しかし、その答えは明らかに間違っている。

 新たな習慣を定着化させることができない最大の理由は、自分自身のことを何も分かっていないからに過ぎない。


僕は、500人以上の人生をインタビューさせてもって「超進化論」のバイオリズムを

発見するに至ったが、その中でも重要な発見は、人は「過渡期にのみあきらめる」という共通の事実だった。


 なぜ「過渡期」にしかあきらめないのか、という理由について少し話をしておきたい。

「成長期」には、すべてがうまくいくから当然あきらめるという発想はない。「停滞期」は、過渡期に似て事がうまく運ばない時期だが、あきらめる理由さえも依存的だからやはりあきらめることさえもできない。「活動期」には、結果が伴わないもののエネルギーがどこからともなく無尽蔵に溢れ出てくるから、何度失敗しても果敢にチャレンジし続ける

ことができる。

 ところが、「過渡期」には、「停滞期」と「活動期」の精神的変化が交互に訪れる。

「停滞期」に起こる「やる気が出ない」という時期がしばらく続いたかと思うと、急に「活動期」に見られる超行動的なエネルギーが湧いてくる。

それもしばらくすると枯渇し、再び「停滞期」が訪れ、やがてまた「活動期」に入る。

波長は大きく荒れ、次第に、「停滞期」と「活動期」が繰り返される間隔が短くなる。

最終的には、数時間ごとに繰り返される急激な変化に、心も体もついていけなくなってしまう。

人があきらめてしまうのは、その中で「活動期」の波が来たときだ。

突発的に湧いてきたエネルギーと、突発的にひらめいてしまう「あきらめる理由」が合致したときに、人はいとも簡単に挑戦を続けることをあきらめてしまう。

 習慣化を断念する時期も、正にこのときなのだ。


■あなたの「あきらめる理由」は何か


 さらに、過渡期のあきらめ方にも共通することがある。

 0歳から順番に人生に起こった過渡期での出来事を掘り下げると、毎回、その人なりの「あきらめる理由の見つけ方」が酷似しているということだ。

 たとえば、「人に迷惑がかかる」ということをあきらめる理由に選択する人は、毎回、

過渡期のたびに、この「人に迷惑がかかる」という理由によってあきらめている。

「できない自分に失望したくない」人は、幼少期から繰り返される過渡期において、この問題と向き合わないための「あきらめる」という選択を繰り返している。

 他にも、「人にも自分にもガッカリされたくない」「誰かに愛されない、必要とされていない」など人それぞれだが、その人が「あきらめる」を選択するときには決まって同じパターンが繰り返されているのだ。

 これらは、生死に関わる問題から、小さな決断に至るまで、すべての「選択の習慣」においてパターンとして作用する。

 一方、このパターンは「あきらめる」という選択だけではなく、「乗り越える」ときにも同じようにパターン化された「あきらめる理由を振り払う勇気」によって乗り越えることができている。その勝負は表裏一体で常に存在し、僕たちの人生に大きな変化を与え続けている。


 僕たちが、自分の人生を進化させ続けるために知らなければならない「自分自身のこと」とは、繰り返し用いてきた「あきらめる理由」と、そのあきらめる理由を跳ね除け、挑んできた「勇気」の出どころである。

 この2つの性分は、恐らく一生涯にわたって変わることはない。その比重をどう変えていくかだけが重要なミッションなのである。


「超進化論」のバイオリズムを理解し、自分自身のことを深く知ることは、「悪しき選択

の習慣」を「良き選択の習慣」に変えるために必要不可欠なテーマである。


 それぞれの時期には、気をつけたほうが良いことと、その時期だからこそ始められる選択の習慣がある。次章から、それぞれの時期に始めると良い習慣、気をつけるべきことを紹介していこうと思う。


第2章
循環の原則

成長期「与えれば与えられる」


追伸:
登さん、お誕生日おめでとうございます。
肉体には賞味期限切れがありますが、魂は永遠だそうなので今もどこかで僕らのことを微笑んで見守ってくれてるんじゃないかと思います。ロト6の予測はできなくなってつまんねーんじゃないかと思いますが、それ以上に大好きな祭りがやっと戻ってきましたね。神輿、担ぐ側から乗る側の気分はどうっすか?

僕はというと、生前の会えなかった時期と同じように、お二人のことはすっかり忘れてwご満悦な毎日を過ごしていましたが、今日ふと、今日が誕生日の人をFacebookで覗いてみたら、登さんが笑ってそこにおりましたw
ときどき、アピりますね😆瑞恵さんに連絡して会いに行けってことだと思って、さっき連絡したら(前よりは)ご近所に引っ越していらしてたんで、最近のお利口くんぶっ壊しに行ってきます。あざます!


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