タモリさん派vsタモさん派

『人は大きく二つに分けられる。
「タモリさん」と呼ぶ人間と、「タモさん」と呼ぶ人間の二つだ。』

と言ったのは誰だったか。
てか、そんなこと誰も言ってはいないんだが、いわゆる芸能人によるタモリの呼び方は「タモリさん派」と「タモさん派」に分けられるのだ。

巨泉クラスがいなくなった今、「タモリ」と呼び捨てにする芸能人はほとんどいないんじゃないかな。
ビートたけしはタモリ本人がいない時には呼び捨てにする時もあるけど本人の前だと「タモさん」って呼んでる印象。きっとそれはシャイだから。
和田アキコあたりは「タモちゃん」みたいな呼び方してた気がするが、ちょっとイレギュラーな呼び方をすることで親密度を周囲にアピールしてるように感じられてナンだかなと思ってしまう。

それらを除けばタモリさん派とタモさん派に分かれる。

今はタモさんと呼んでいる人だって最初はみんな「タモリさん」から始まるはずだ。
タモリとの共演の数が増えてきて自分のことを認識してもらえるようになり、心の距離が少しずつ縮まってきた頃、「今日こそタモさんって呼ぶぞ!」と決意する日がやってくる。
心中ドキドキしながらタモさんチャンスを伺う。そして何気ない会話の中のここしかない!ってタイミングで「え!タモさんもあれ食べたんですか?」とブッ込んでみるのだ。
その瞬間、タモリのサングラスの奥でギロッと光った気がして慌てて言い直す。「美味しいですよねー!タモrさん」と、(r)を曖昧に発音することでタモリさん以上タモさん未満の位置にとりあえずは着地する。

そしてまたしばらくの月日を経て、再びタモさんチャレンジの日を迎える。
この日のために彼はr要素を少しずつ減らして見事なグラデーションを作ってきたのだ。今日はハッキリと「タモさん」と発音しても大丈夫なはず!という緻密な計算のもと、タモさんチャレンジは決行される。
果たしてタモリのサングラスの奥はギロッと光らず見事チャレンジ成功。
晴れて彼はその日からタモさん派に仲間入りしたのだった。


一方、タモリさん派の中にはタモさん派のことを少し冷めた目で見ている者もいる。
タモリとの心の距離は十分に近いはずななに、一貫して「タモリさん」と呼び続けている。それは彼のこだわりであり最大限のリスペクトの表現なのだ。

「タモさん」と呼んでいるだけで親しくなったつもりでいるなよ!
たかが三文字を省略するんじゃないよ!
しっかりと尊敬の念を込めて「タモリさん」、そう呼べ!
そんな冷めた目でタモさん派を見ている人物、
それは関根勤だった…。

真相は、知らない。
僕の勝手な思い込み。独断と偏見による捏造。


何が言いたいかって、僕がタモリと近い距離にいる人間だったとしたら(家が近所であるとかの物理的な距離ではなくて人間関係としての距離)、タモリのことをどう呼んでいるだろうなと想像して楽しむことがあるって話。
そして、おそらくは自意識が邪魔をして「タモさん」とは呼べないだろうなって話。

おしまい

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