彼らの仕事の成果を享受している

エアコンと空気清浄機のフィルター掃除をする。
想像以上にホコリがたまっていて、それを洗い流したり掃除機で吸い取るのは快感だ。
こんなにも仕事してくれてたのか!フィルターよ!ありがとう!と思う。

でもなんだか不思議な気持ちにもなる。

「快適な暮らし」という名の彼らの仕事の成果を僕はとっくに享受しているはずなのに、フィルターを掃除する段になってようやくそれを実感するのだ。
「快適な暮らし」は当たり前のことになっているから快適な時には何も感じない。
しかし「不快」が出現すると一転して、なんだなんだお前らサボるなよということになる。
「快適な暮らし」が保たれているうちは彼らに感謝しないのだ。

フィルター掃除でホコリの量を見てようやく「フィルターよ、ありがとう!」となる。
因果なもんだ。

野球部が練習でユニホームを泥だらけになっているのを見て、「頑張ってるなー!あいつら!」って思っちゃうのに似てる。
もしくは、汗だくで歌って演奏しているバンドを見て、「一生懸命やってて好感もてるな!」って思っちゃうのに似てる。

と思ったんだが、言葉にしたらニュアンスがちょっと違う気もする。
どちらにしても、ホコリなり泥なり汗なり目に見える何かでしか彼らの頑張りを評価できない僕はまだまだだ。

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