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さかしま第3号「自由に生きることを恐れるな」序文

 1日の半分を会社で過ごし、4分の1を寝て過ごしてみても6時間は余る事になるが、おおよそそんなに自由時間が有るように感じない。通勤の往復に1時間、朝夕の食事で1時間と諸々の家事に1時間。それでも3時間余る。帰宅が10時過ぎ、就寝は1時として夜の自由時間の3時間。そこで何をしているのだろうか?
 趣味の時間、自己啓発の時間、友人との電話等々、人々は精力的に過ごしているかもしれないが、私と言えばただひたすら横になっている。見るとも無しに携帯でツイッターやフェイスブックを見つつ仕事の事を考えまいとしながらも、納期の差し迫った案件や会社での人間関係に苛まれながら、鬱々とした心持でただ横になっている。
 私達は働く。遣り甲斐の無い仕事の中で理不尽さに疲れ果て、好きでもない人々との付き合いの中で体を壊しながらも、他人に媚びへつらいながら働いている。給料を貰う為、社会的信用を得るため、社会に奉仕貢献するため等々、白々しくも合理的な理由はいくつでも挙げることは出来る。
だがそこに自由はあるのだろうか。我々は安定した生活の為望んで就職した。社会の奴隷となることで金銭を得る。確かにその金銭を趣味に使い娯楽を楽しむことは自由と呼べるかもしれない。辛い日常から解放されるべく、人々は僅かな休日で自由を謳歌する。多くのしがらみと限られた時間の中で感じる解放感の後、また日常へ戻り苦しみの中を生きていく。無限に続く煉獄と一時的解放の輪廻。そこにあるのは偽りの自由。思考停止の行ける屍人達が貪り食らうのは、空虚な奴隷の自由に他ならない。

 8月の猛暑日、外回りから会社に戻る途中、ホームレスが路上で寝転がっていた。たまたま通りがかったのであろう、警察官が炎天下に路上で寝転がる彼を心配し声を掛けた。警察官が何と言ったかは分からなかったが、茶色い肌をしたホームレスはこう叫んだ。
「俺の自由だろうが!」
 そう、彼は自由なのである。平日の昼間から半裸で路上に寝転がるという自由。私が外回りに疲れたからと言って、スーツを脱ぎ捨て路上に寝転がる事は出来ない。何故ならば私が社会人であるからだ。そこに社会的常識が存在し、体面というものが有る以上、アスファルトを布団代わりにすることは有り得ない。
 彼を羨ましいと思わない気持ちが微塵もないかと言われれば嘘になる。あらゆる種類の不幸がホームレスという状況を招いたのかもしれないが、その不安定さの中で生きて行くことが出来る強さと鈍感さと図々しさに、同情と侮蔑が占める自らの性悪な感情の中に、多少の羨望が有る事は否定できない。
 しかし、そんな自由を欲している者が何処に居るというのだろうか。我々が欲する自由とは、安寧の中で誰にも邪魔されること無く幸福に過ごす事である。確かにホームレスが青空の下に眠ることは安寧の内に有ると言えるかもしれないが、長々と論ずるべくもなく、そんなことは全くもって詭弁である。
 では自由を求める我々は、何故不自由な会社員や学生を続けるのか。何故そんなにも嫌いな社会の中で、或いは学校の中で生き続けるのか。多様な生き方が認知されるようになって尚、私達は生き方を自ら縛っているのではないか。
 絵を描く事、小説を書く事、楽器を演奏する事、歌をうたい、詩を諳んじ、映画を論じ史実を読み解き哲学に耽る事が好きならば、それに殉じる生き方を何故しない。何故興味も無い業界に、或いは何も得ることの無い教室に居続ける?
今すぐその閉鎖的で窮屈な箱庭を抜け出し、自由に好きな生き方で存分に自らの個性を活かすべきではないのだろうか。
 そうしない答えは単純にして明快である。怖いのだ。我々は自由を手にする事が怖くて仕方ないのである。
 
 自由とは安定を犠牲にした上でしか得ることが出来ない物であろうという思い込みは、自由に生きることの苦悩を想像させ、いかにもその生き方に未来が無いかのように錯覚させる。何にも縛られない無重力が如き自由で、先の見えない不安定な漆黒の宇宙を遊泳出来る物は少ないだ。
 その思い込みが全くもって間違い出るかと問われれば完全に否定することは出来ない。排気ガスを吸い込みながら喉を潰してまで小銭を稼ぐ路上シンガー、身内にチケットを売り捌く中年の劇団員、箸にも棒にもかからない作品を作り続ける人々。努力だけでは如何ともしがたい世界がそこにはある。
 我々は恐れてはならない。自らに何の才能もなく、奴隷なることしか能がないと信じ込み、ただひたすら現状に対する膿の様な不満を垂らしながら生きることはやめてくれ。その姿は何より醜く無様で汚らわしい。何故簡単に夢を諦めなければならないのか。金か、安定か、信用か、体裁か。そんなものはどうでもいいと、吐き捨てることが出来る人間になろうではないか。そうしなければ、私たちの培った感性が生かされる所が無くなってしまう。才能が潰され、個性は死んでいく。あなた達はそれで良いのか。
 そのような人々を散々見てきた。言い訳がましく過去の実績をただひたすら語り続けるだけの生ける屍達。過去に囚われ社会という不自由に上手く迎合出来ない彼らを前にすると、こう思わずにはいられない。自由に生きることを恐れるな。
 だが私はそれでも怖くて仕方がなく。青紫の隈が縁どる目を強く閉じ、今日もまた3時間の自由をひたすら寝て過ごす他ないのである。


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