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墓穴へ意気揚々と

 「これ、君のだよね」と紙がテーブルに投げ置かれる。何事かと思うも、見覚えのある画面が克明に印刷されたそれを見て一瞬で悟る。震える手で掴んだそれは、確かに私自身が投稿したSNSへの呟きであった。
 ご丁寧にアイコンは自画像、自己紹介欄にはインターン先の名称、下卑たジョークを連発しあらゆる事を揶揄するネット上の私の姿がそこにある。弁明のしようは無く事実を認め謝罪し、叱責を受けた後、無為な一週間を過ごした。仕事を振られることも無く、何かを学ぶ機会を与えられず、会議室で一人古い資料の整理を何時間も続けインターンを終えた。
 受け入れの面接の段階で、私は誰よりもその業界について知識を持って居ると確信したが、実際の所は他の学生達と話す機会も無かったので分からない。だが、確かに意欲は有った。そこで多くの事を学び将来に活かそうと、いや寧ろ本気でその業界を目指そうと思っていた。
 しかしその結果は意気揚々と進んだその先で自らの掘った墓穴に入り、身動き出来ず息絶えていく惨憺たるものとなった。

 90年生まれ。自我の形成と共にネット文化が発展していったように思う。小学校高学年の頃に訪れた動画投稿サイトの黎明期、そこには大量の違法アップロードが溢れていた。残虐なまでの好奇心を持った子供たちは所謂グロ動画に辿り着く。ショックを受けつつその衝撃がトラウマと化すことを忌避する為の無意識の自衛だったのか、少年たちは残酷さを笑い飛ばしていた。呻き声と血に塗れた映像は仄暗い後ろめたさと共に、ネットの海には刺激が溢れている事を教えてくれた。幸いにも周りに倫理的に正しい大人達が居り、私たちの行為を問題化させてくれた為、人格的な欠損は生じなかった。そう信じたい。
 その後も暫くは違法投稿動画の規制は行われず、そこで多くのモノを観ていた。中学時代に苛烈なイジメを受けて居た為、現実に逃避するかのようにますますネットにのめり込む事となった。
 ブログ、チャット、自作のホームページ、まとめサイト、そしてSNSが隆盛を迎える。年齢を重ねると共に肥大化した自意識は気軽に自らを発信できるネットへと放出される。そこで繰り広げられる批判は匿名が故に自身に向けられたモノであると認識せず、体験なく得た情報をあたかも自身の知識であるようにひけらかし、安易な万能感浸る快感がインターン先での自業自得極まりない悲劇を招いた。

 工業界では第四次産業革命と呼ばれるIoTを中心とした可視化の時代が到来し、IT業界では収集した顧客データが流出する事件が頻発している。
 個人レベルでも、匿名性から始まったインターネット史も視える時代となった。問題発言や行動が有ればすぐさま特定され袋叩きにあい、例え間違った認識でもバイラルは人々の思考を浸食し真実は事の中心では無くなる。
 誰が望んだ訳でも無く既に総合監視社会が到来している。或いはそれは我々が望んだ事なのかも知れない。現実でもネットでも埋没しそうな人の多さの中で、自分は此処に居るのだと、その存在証明を得るべく我々は自らの情報を発信し続ける。
 今日は何を食べた、誰と遊んだ、どこに居る、何を観た、どう感じた。自らの体験を感性を犯罪を見せびらかせずには居られない。そこに人が居る限り。

 そうして私も未だアイコンは自画像であり、この中毒状態を自覚しながらも、ネットで他人を馬鹿にし続けている。


オールジャンルマガジン「さかしま'19」僕たちが生き延びたこの時代について 序文より

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