究極の断捨離、独立

「会社を辞めるんですよ」
今年何回か電話で聞いた言葉。相手は誰でも知る名の通った仲介会社の責任者だ。

「何で辞められるんですか?」
半分以上答えが分かっているのに、意地が悪いなと我ながら思いながら聞く。

・どんどん上がる仲介営業の難易度
・現場に出せないほど衰えた中年営業マン
・いつまでも一人で営業させられない若手
・迷走する会社からの指示
数え上げたらキリがない。現場の責任者達はみんな疲弊している。

駅前最前列の綺麗な店舗に、豊富な広告量。使い放題の最新鋭営業ツールに、達成するごとに上がっていく職位と給与水準。かつて、数値目標を達成し、かつ大きなトラブルを起こさなければ、会社は僕らにとって最高の安全地帯だった。

大量採用の団塊ジュニアとして、毎日サンドバッグになって馬車馬のように働いた20代
世界恐慌や大型災害に見舞われながら、何とか人並みの暮らしが手に入った30代後半
身体のあちこちがボロボロになったけど、40代以降は、僕らにもやっと穏やかな毎日が来るはずだった

かつて、この業界はサービス残業や休日出勤の温床だった。数字を上げられない時、僕たちは休日や定時以降を会社に捧げ、物量や力技でカバーする形でもがいてきた。そんなセミブラックな環境が2019年の働き方改革により一変する。

会社から一方的に告げられたのは、火曜日水曜日完全休業、19時にはきっちり閉店。事前に申請をしなければ20時で自動的にパソコンの電源はオフになる。これは実質、今までの3分の2の時間で同じ結果を求められる通達だ。喜ぶ若手を尻目に、僕らは戦慄した。

当たり前の話だが、不動産はお客さんあっての商売だ。どれだけネットが発達しても、人対人の接点で化学反応を起こし案件を作る。すぐに売る気がない人を説得したり、長期化した物件を買取業者に卸したり、2年越しの査定案件をやっとのことで物件化したり、どれも時間と手間がかかる事ばかり。

時間を売ってお金に換えるのが、不動産営業だと教えられてきた僕らに大きな足かせが付いた。今月半ばになって案件のない営業マンが、18時に堂々と帰る事が止められない。19時になればみんな帰り支度、月曜日には休み前でそわそわする店内。

拘束時間は減っても、数値目標は変わらない。責任者とベテランが飛び回って案件を集め、最短の時間で数字に変えていく。未経験の若手に丁寧に教えている時間なんてない。その間、ロートル営業マンや若手は写真撮影や重説作成専門部隊。達成した数字は今までと一緒でも、その内訳は全く違う。

コロナになって少しだけ仲介バブルがあった。業界の長い人間には、すぐに終わってしまうことが分かり切った残酷なご褒美。嗚呼、これが終わったら次の事を考えよう。こんなことを続けてはいられない。20年以上続いた僕らの戦いに、終焉はあっけなく訪れた。

もう待っていても会社は正しい答えなんか示してくれない。これからの穏やかな日々は、全てを失った自分一人で探さなければいけない。毎日毎日を大切に、かけがえのないステークホルダーを作り続ける日々。何かを失ったことで得られる新しい可能性。

30代で独立を選ばなかった僕らは、会社の傘の下、看板を背負って細々と生きていくはずだった。野心を持たず、多くを望まず、人並みな生活を送ることが出来ればそれで良かった。でもそんなささやかな願望すら掌から零れ落ちようとしている。

今まではタブー視されていた、40代後半での独立はスタンダードになりつつある。少なくとも僕の周りではそうだ。決断するリスクより、先延ばしにして決断しないリスクが表面化しつつある今日。何ヶ月もの間、眠れない夜を過ごして下した彼の決断に心からのエールを送った。

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