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戦士のごはん

「怖いの…」「悲しいの…」「寂しいの…」
そう言いながら上目遣いに見て、手を握ったり、体に触れたり。
そうやって誰かに自分の困りごとを委ねてしまえる人がいる。自分の困りごとだけど、ふたりの困りごとにしてしまえば負担は半分で済む。そのまま上手にコントロールすれば、誰かが解決してくれる。
楽ちん。

不安や悩みを誰かに相談するのも、困って誰かを頼ることもできない人がいる。
どうにもならなくなったギリギリでようやっと誰かに助けを、それも助けを求めているとは知られないような感じで、助けを求める。助けて欲しいことを知られたくないから、たいして求める前と変化がない状態のまま去っていく。

他人に委ねる人も、誰にも言えない人も、どちらも苦しいのだろうけれど、どうしても委ねる人は好きになれないし、助けたいと思えない。
一方で、誰にも言えない人は愛おしく、私にできることはしたいと手を差し伸べたくなる。
言えずにいたのが、どうにもならなくなって胸の底の底まで溜まったものを吐き出さずにいられなくなったとき、そばにいるのが私だとちょっと光栄に思う。「怖いの…」と言われたら「はいはい、はいはい」と流してしまうけれど、爆発は全力で受け止める。

誰かに頼りたい、甘えたい、委ねたい、助けて欲しいと思っていても、言えないまま年をとっていく。このままずっと、自分で自分の胸元を握りしめ、ひとりで戦い続けるのかと思うと、切なくなる。
でも、私にはなにもできない。
明確に助けを求められれば手を貸すけれど、求めない人には、苦しそうであっても手は貸せない。ただ、おいしいごはんを作って一緒に食べるだけ。

それが、私がごはんを作る人になりたい理由のひとつ。
おいしいごはんを食べてちょっとだけ幸せな気持ちになる、ひとりで戦うインターバルのような時間をすごせたらいいな、と。助けることはできないから。

タナカアキ曰く、
「生きることは食べること おいしいはしあわせ」

戦うことを誰かに委ねたくないのは私も同じ。
誰かに解決してもらえたら楽だなーと思うけれど。そこまで誰かを信頼してないから無理。
でも私は上手に誰かに「助けて」を言える。その分、楽してる。
いつも私を助けてくれる人、ありがとう。
助けてくれる人へもごはんを出したい。感謝の気持ちをこめて。

だからやっぱり、私は毎日食べれるごはんを提供したい。
ハレの日は私じゃなくていい。ケの日の、なんてことない普通のごはんが私のやりたいこと。
毎日食べられる値段のお惣菜屋さん。
やれたらいいなぁ。
始めたら、来て欲しい。誰かを頼るのが苦手な人に。
で、ごはん食べて、また立ち向かっていってくれたらうれしいな。

ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす