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覚悟してドアをくぐるように

ネコをこれまで家の中で7匹、外で10匹以上世話してきた。
が、ネコ好きではない。
好きだと思ってたこともあるけれど、ネコ好きを自認するする人たちを見ていると、どうやら好きではないらしい。
好きではないけれど、一緒に暮らしているからには責任があると思っている。死ぬまで世話する責任。
おかげで旅するように暮らすことも、思いつきでふらりと旅に出ることもできない。
が、それを込みでネコと暮らすことにしたのだから仕方ないとため息をついている。

私のおすすめは多頭飼い。
3匹まではおすすめできる。
1匹で飼うより2匹、3匹いるとネコ同士で遊ぶので手がかからない。なんなら多頭飼いを始めたときの3匹目(ツキ)は生後1か月くらいで拾ったのだが、先住2匹が世話してくれてまったく手がかからなかった。
先住2匹はどちらもオスなので母乳を、というのは無理な話。スポイトでネコ用ミルクをやっていたが、ミルク嫌いで、生後2ヶ月目くらいからは先住の真似をして一緒にカリカリを食べていた。
それが正解かはわからないが、それでも成猫になった。

4匹目(ケン・モリ)を拾ってしばらくして、3匹と4匹の違いを知った。
多い。たった1匹、しかも生後半年くらいのガリガリなのに、多さを感じた。
しかも、1年を過ぎる頃には巨ネコへと成長し、本当に多さを実感。
多頭飼いは3匹までがおすすめ。

今でも正解がわからずにいるのだが、とりあえずは完全室内飼い。
交通事故やケンカ、ケンカによる感染症など、外での生活にはリスクがある。
だが、そのリスクははたして誰のものなのだろう。

死なないことと、自由がないこと。
ネコたちはどっちを選ぶのだろうか。
言葉を発しないから、勝手にこちら側の気持ちを優先している。
つまり、死なないで欲しい。長生きして欲しい。いつまでも一緒にいて欲しい。
だけど、自分だったらと考えると、自由のない暮らしを長く続けることに価値はあるのだろうかと悩む。

ネコが話せたら、と思うが、ネコが「死んでもいいから自由がいい」と言ったとして、そのとおりにできる自信はない。
この先、自由がなくても4匹の死を見届けなくてはならない。ものすごく嫌だ。嫌だけど、それが責任だからやるしかない。

理想は、木や土や草を感じる広い広い庭に放すこと。自由に庭と家を出入りできたら、お互いの妥協点となりそう。
そのくらい広い庭がないのなら、誰ひとり住んでいない僻地で外に出してやれるといいのだけど。
ここはいくら田舎といっても、車は走っているし、近所に人もいる。
人間はネコの一番の敵だ。毒入りのエサをまいたり、懐っこいネコを捕獲していたぶったり、人間はネコを殺す。

いつか、4匹ともを自由に外に出してやれるようなところに住みたい。いつか。それまで生きていて。

ネコとの暮らしはそんな感じ。
この暮らしを守るために、私は自由を犠牲にし、好きじゃなくても働くしかない。なにがあってもお金を稼がなくては。
そういう考えを持てないなら、ネコを飼うのはやめて。
かわいいから。ファッションとして。
飼ったはいいけど自由でいたいと放置したり、捨てたり、そういうやつが近くにいたら”しなす”。
昨年、うちのネコを外に出したやつがいる。
今年、同じようにネコを外に出したやつがいたら、”しなす”。
ちなみに、私は執拗だ。復讐は決してあきらめない。
”しなす”。

今年もまもなくこの家にお客さんが泊まりに来る。
玄関のドアにガムテが貼ってあり、「ネコを外に出したらしなす」と書いてある。
ドアをくぐるからには、覚悟してもらおう。


ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす