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偽名で暮らす

 今日は公務員が運営するスナックに行っていたのだが、そこで私の名前の話がちょろっと出た。
「Facebookも偽名なんですよね」
 そこをピンポイントで突いてくるんだ。やっぱりこの人、侮れない。
 でも一方で、「ああ、そうしか思わないんだな」とがっかりではないけれど、ちょっと残念な気持ちになった。

 私はタナカアキ、偽名で暮らしている。
 アルバイト先の編集プロダクションもカフェも、どちらもタナカアキで仕事をしている。もちろんお給料の振込先は戸籍名で、税金の申告は戸籍名で行い、納付も戸籍名だ。要するに役所関係と銀行関係は戸籍名になっている。
 だが、アルバイトもフリーランスとしての仕事もタナカアキ。知り合いはみな、私をタナカアキと呼ぶ。ネットショッピングも支払いは戸籍名だが、届け先はタナカアキ。
 普段の生活では、タナカアキでなにも問題ない。
 だからFacebookもタナカアキなのだ。タナカアキとしての知り合いは、戸籍名を見ても誰だかわからないだろう。だったら私の本名はタナカアキだ。

 フリーランスの知り合いには、意外と偽名の人がいる。私のように「偽名です」と名乗らずに、仕事ネームでプライベートもすごしている人たちだ。
 そんな人たちが身近にいるため、偽名で暮らすことをそれほど珍しいとは思ってない。だからタナカアキが偽名だとわかって驚く人や言及する人に会うと、私が驚く。「え、そんな大したことじゃないのに」。
 そもそも、いわゆる本名として名乗っている名前が戸籍に書かれているものと同じなんて、どうして思うんだろう。だって混むお店で順番待ちの名前を書くとき、戸籍名以外を書かない? 声をかけられて面倒だと感じたら、別な名前を名乗らない?
 名前なんて、ただのラベルにすぎない。呼んだり、呼び分けたりするためのラベル。
 ちなみに、私はタナカアキへの改名を目指しているが、改名できたとして死ぬまでタナカアキを貫き通すかは定かでない。もっとなりたい名前を見つけたら、また新しい偽名での生活を始めるかもしれない。

 数日前、微遍路の田中さんがアップした写真を見て、少々憂鬱な気分になっている。そこに写っている人の中に、戸籍名時代の知り合いに酷似した人がいたから。もしその人に私が今、タナカアキと名乗っていることを知られたらと思うと、怖くて昨夜は眠れなかった。
 私がタナカアキとして暮らしているのは、それ以前の人間関係と縁を切るため。友人、知人、そして血縁者。すべての人に行く先を告げず、メッセージが来ても読まず、着信も拒否登録して、行方をくらました。
 偽名で生活することは考えてなかったけれど、とにかくいわゆる戸籍上の家族と縁を切りたくて、まずは実家を売り払った。あとで問題にならないよう、お金はきちんと分ける。年老いた父親の代理として届く書類の宛先は、本人へと変更。保証人となっていたものも、私の名前を抜く。様々な重要な書類は本人の手元に置くか、姉へ送付。
 飛ぶ鳥跡を濁さず。すべてをきれいに片付けて、引っ越し先を告げずに連絡を絶った。
 もともと戸籍は私だけのものになっていたけれど、本籍地も変更。念のため、実家から今に至るまで3回住民票も動かした。もしそれでも見つけられたら、戸籍を捨ててどこかへ行こうと思っていた時期もある。

 もう絶対に、二度と戸籍上の家族には会わない。ある意味、今はそのために生きているといっても過言ではない。まあ、死ねばいいんだけど、なんで私が死ななあかんのやし。
 週末の微遍路クライマックスには、かなりの人が集まるらしい。写真に写っていた人も来るかもしれない。それ以外の昔の知り合いもいるかもしれない。
 戸籍名で呼ばれたら、私はどうしたらいいんだろうか。振り返るべきか、知らん顔すべきか、逃げ出すべきか。
 大丈夫。きっと見つからない。私は私でいられる。タナカアキのままでいられる。きっと大丈夫。
 これからも私はタナカアキでいるために、逃げたり隠れたり、戦ったりしながら生きていく。

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偽名で暮らしている理由や、暮らしてどうなったかのまとめはこちら ↓





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