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ひ活

 絶賛、ひとりになりたい活動中である。日本語としてはおかしいけれど。
 ひとりになりたくてなりたくてしかたない。この一週間、家にいた。シェアハウス群の中の一軒にひとり暮らし。なのに、ひとりになりたい。
 私はネコを3匹飼っている。先月、1匹が急死し、それと仲のよかった1匹がさびしいのか何なのか、よく鳴くようになった。満足するまでなでてやらないと鳴きやまない。
 その死んだネコは、ネコの皮をかぶったイヌと呼んでいたのだが、イヌのように私の後をついてくる。いすに座れば、ずっと私を見ている。とにかく「僕はここにいます」と、存在をアピールしまくり。
 そのネコが死に、いたものがいなくなったさびしさや、もう会えない悲しさは当然あるのだが、「僕」アピールがなくなったことに正直ほっとしていた。が、それ以上のうっとうしさで、今、ネコに鳴かれている。

 平素であれば、火水木は工場で仕事、土日はカフェでバイト、金は大抵友だちのお店で作業と、家にいることが少ない。ネコに鳴きつかれるのは、夜の数時間だけ。
 それがこの一週間、家に缶詰状態だったので、起きてから寝るまでずっと呼ばれ続けた。
 勝手に鳴くなら好きにすればいい。だが、私を呼ぶのは勘弁してもらいたい。「僕を見て」も苦痛だったが、今の「なでて」もうんざりだ。
 だが、なでなければ延々と大声で鳴き続ける。

 呼ばれること。呼びつけられること。必要とされること。頼られること。どれもこれも苦手だ。大嫌いだ。
 ここまで書いたところで、ああ、と気づいた。だから私は親を捨てたのかもしれない。
 施設に入った父親は、何かあると電話してきた。それも自分時間で。早朝、昼間、夜、自分がかけたいときにかけてくる。私が朝早くに起きないことも、昼間はバイトに行っていることも、帰宅途中でも、夜ごはんを食べているときでも、お構いなし。私の都合を考えることなく、必要なときに呼びつける。
 どれだけ「夜中にフリーランスの作業をすることもあるから朝早くは困る」と言っても聞き入れない。「バイト中は出られない」と言っても、「運転中は出られない」と言っても、「なんで電話に出んのや。ずっとかけてんやぞ」と文句を言う。知らんがな。私はお前のために生きてるわけじゃないんやぞ。
 そもそも電話恐怖症だというのに、こちらの都合を考えずにかけてくることが苦痛で仕方なかった。

 そしてかけてくるのは、私が必要だから。自分が何かをするのに私が必要だから呼びつける。父親も、父の結婚相手も、結婚相手の子どもも、私の姉も、父の弟も妹も、施設の人たちも、病院の人たちも。書いているうち、当時を思い出してうんざりしてきた。
 必要としているのは、私の関係者じゃない。父の関係者であるなら、父親本人と解決を図ってくれ、と思う。多少鈍くなっていたけれど、大人なのだから自分で判断できる。それに、私が父に代わって父のことで判断を下すことはしない。どうせ「それは父に聞いてください。私が決めることではないので」と言うのだから。
 私は誰の代わりもしない。ネコに関しては言葉を話さないし、お金を払う、責任をとるのが私だから決断を下すけれど。
 呼びつけられるのも、必要とされるのも、責任をとるのもごめんなのだ。自分のこと以外ではお断り。

 私は小さい人間だ。キャパが本当に小さくて、自分のことで精一杯。いつだって余裕はない。特に心の余裕は全然ない。
 父親にもネコたちにもかわいそうなことをした(している)と思うけれど、それらにキャパを譲り渡すと、自分が崩壊してしまう。自分を守るためには、悪いがそれらを後回しにする。
 余裕があるときは、もちろん鳴いて呼ぶのに応え、全身くまなくなで回す。満足するまでなでてやり、自分も満足する。
 けれど、余裕がなければ、鳴きつかれるとヒステリーを起こしてしまう。追い詰められた気持ちになって、すべてを捨てて逃げ出したくなる。
 だから、ごめん。ときどき外泊させて。ひとりの時間を持たせて。ゆっくりごはんを食べさせて。そうして心に余裕が生まれたら、相手をするからね。



ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす