私をコントロールできるのは私だけ

 ふと、不自由だなぁと思ってしまった。
 アルバイト先はそれなりに理解があって、社内でも偽名で過ごせ、休みもできるだけ好きなときにとれる。辞める日も自由にさせてくれて、鳥取へ通うことも納得してくれた。社外とのやり取りも偽名でしている。
 それを理解と呼ぶのか、都合優先と呼ぶのかは微妙なところだが。

 アルバイトである程度自由にできるということは、収入が少ないということ。時間を切り売りして、お金に変える。私の中で時間は何よりも価値があるもの。それをお金に変える。
 私の中では時間に値段はつけられない。けれど、他者にとっては私の時間も誰かの時間も一律いくらとなり、お金が支払われる。
 こうやって書くと「何やってるんだろ、私」と改めて思う。私にとって一番価値のあるものの値段を誰かにつけさせるとは。

 アルバイト先はそれなりに理解があって、社内で偽名で過ごせ、休みもできるだけ好きなときにとれる。辞める日も自由にさせてくれて、鳥取へ通うことも納得してくれた。社外とのやり取りも偽名でしている。

 お金をもらう代わりに、私は「〜させてもらう」ことをしてるのだ。「させてもらう」、つまり誰かの許可を得て行動する。許可のないことはできない。
 鳥取へ行くのも、仕事を辞めるのも、偽名で仕事するのも、休むのも、本来は私が決めること。だけど、許可が必要。お金を払ってくれる人の。
 そして、それは時間外にも及ぶ。時給は切り売りした時間にのみ支払われるので、それ以外の時間は自分のもの。好きにできるはず。
 しかし、切り売りした時間に影響が出るかもしれないという理由で制限を受ける。たとえば鳥取へ行く場合、金曜と月曜に休みを取り、金〜月曜に行くのは私の勝手だ。木曜の退勤時間まで働き、火曜の始業に間に合えばいい。だがこのご時世、お伺いをたて、繁忙期を避け、許可を得なくては、行くことができない。(帰ったら検査もしなくてはならない)

私はコントロール・フリークだ。何事も自分のコントロール下に置きたい。すべてを把握しなければ気が済まない。だがシェアハウスに住むことで、特にこの自由気ままな家に住んだことで、思い通りにいかないことに慣れた。
 今朝もシャワーと洗濯を待つこと1時間。カップル住民がシャワーから出てこない。洗濯機は脱衣所にあるため、終了音はしたが使えない。あ、ドライヤーかけながら2回目を始めた。でも、他人の時間、他人のやり方、他人の生活。私にコントロールすることはできない。

 だが時間、生活、生き方は私のもの。私が決めることができるはず。私以外に決める権利はない。
 無給でも書きたいから取材して書く。無給でも手伝いたいから下働きする。お金はかかるけど、会いたい人、過ごしたい場所があるから8時間かけて鳥取へ行く。食費を削ってでもネコのエサを買う。
 私が今まで就職という手段を選ばなかったのは、毎日を誰かの手に委ねるのが嫌だったからかもしれない。誰かの決めたことに従う、誰かの許可を得るなんて。私は私のすべてをコントロールしたい。

 時給で働くアルバイトは、就職より少しだけ自由が利く。いや、自由が利くなどと言いたくない。自由はすべての人が持つ権利、利いて当たり前のもの。
 時給で働くアルバイトは、就職より少しだけ制限が緩い。誰かのコントロール下にある時間、部分が少ない。だからもらえるお金は少ない。それを変えたい。仕組みから変えたい。
 それをフリーランスと呼ぶのだよ、と言われたら、そうですね、と答える。アルバイトとフリーランスは紙一重。その薄紙一枚を飛び越えられたら……

 自由でありたい。毎日を自分でコントロールしたい。
 どうありたいか、どうしたいか。自分で決めたい。他者に委ねるのではなく、自分で決めたい。

  

  

ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす