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別れまであと七日

 昨夜は久しぶりに人前で泣いた。小学生の頃、同級生が特急電車にはねられて死んだとき以来かもしれない。
 と書いたところで、そうでないことに気づいた。今年に入ってから、もう3回目だ。
一度目は6月15日の友人が企画したうちのシェアハウスでの飲み会で、べろべろに酔っ払い、家主を思ってひとり泣いていたとき。わんわん泣いているところへ、ふたりやって来た。ひとりは顔見知りだけど、話したことがなかった人。もうひとりは、得体が知れないけれど大好きな人。酔ってリミッターが外れた私は、感情のままにひとりを励まし、もうひとりを説教した。
二度目は、その説教をした大好きな人が感情をあらわにして友だちを救おうとしていたとき。たまたま偶然その場に居合わせて、大好きな人が手を差し伸べてありったけの言葉を尽くすのに、相手に全然伝わらないのを横で見ていて悲しくなってしまった。結局、欲しかった言葉は引き出せたし、その後変化が起こったからいいのだけど。
 そして昨夜、三たび人前で泣いた。

 敬愛する家主があと一週間でここを去る。そのことにどうにも覚悟ができず距離を置いてしまう一方、できるだけ一緒にすごしたいとも思う。そんな中、昨日はシェアメイトのお誕生日会に参加。でもいたたまれなくなる自分も想像できたので、知り合いと飲みに行く予定を入れ、途中離脱することにした。
 帰ったのは1時すぎ。いつもなら後片付けをしている時間だが、昨夜はまだお開きになっておらず、家主ほか3人と飲み始めた。3時頃、ふたりは自室に引き上げ、家主はその場で眠り、昨日「はじめまして」とあいさつした人とふたりになった。
 その人が自分のことを語るのに聞き入る。うちのシェアハウスには一筋縄ではいかない人がよく訪れ、昨夜の人もそのタイプ。偏差値40くらいの高校から、一浪して東大に進み、中退して事業を起こしたそう。もう「へぇ」の連続で、ただただおもしろく話を聞いていた。はずだった。

 私たちふたりに共通しているのは家主なので、話の中にちょこちょこ登場する。焼酎を飲みながら、そこで眠っている家主を肴に盛り上がる。
 そうして楽しく飲んでいたのに、私は泣いてしまった。思いやりにあふれ、愛情深く優しいのに誤解される悔しさ。これまで誰にも言ったことがないような、私が抱いていた家主に対する思いと愛情がほとばしり出る。
 涙が大きな粒になり、ぼろぼろ流れる。声がひっくり返り、ときに嗚咽で言葉に詰まる。もう、質問に対する答えにもなっておらず、ただただ思いの丈をまくし立てた。ああ、私はこんなにも家主のことが好きだったんだなぁと自分でも驚く。
 前々回、大好きな人に説教したときは暗闇の中で、誰にも見られることはなかったけれど、今回は明るい電灯のもと1メートルにも満たない距離で泣き崩れるのを見られている。そのことがまったく気にならない。
 そうできたのは、初対面で激情をあらわにする私をそのまま受け入れてくれる人だったから。家主には直接言えないけれど、誰かが私の思いを聞いてくれる。そのことが私の心を開かせ、かつてないほど感情を表に出せた。

 その人も自室に引き上げた午前4時すぎ、座卓を挟んで家主とともに横になる。ああ、なんて愛おしい時間だろうと、また涙が出て、嗚咽をハンカチで押さえた。
 午前8時半、暑くて目が覚めると、もう家主の姿はなかった。
 8月15日はどんな朝になるんだろう。14日の夜は眠れるだろうか。
 出立する背中を見送る覚悟は少しだけできた。ほんのちょっとだけだけど。後悔しないように、最後は逃げずに立ち会いたい。たとえみんなの前で泣くとしても。



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