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吉野源三郎「君たちはどう生きるか」読書感想文

「いいか、読むぞ」
「はい」
「今回、私は法令を違反したので、どのような処罰も受けようと思います」
「はい」

供述調書をとる最後の日だった。
刑事が締めの一文を、なんやら勝手に書いてから、読み聞かせをしたのだった。

「しかしながら、○○を扱うのは私の仕事です。今後やめるつもりはありません」
「・・・」
「これからは法令を守って仕事を続けたいと思います」
「・・・」
「以上だ」

勝手に書かれた締めの一文だけど、わるくはない。
というよりも、先回りして書かれたようだ。

「いいんすか?」
「なにがだ?」
「これからも続けます、なんて書いても」
「ちがうのか?」

情けなかった。

自分の本音を、人に書かれるのというのは、こんなにも情けないものなのか?
自分の本音を、他人の手で書かれた、ということが。

「いや、続けたいです」
「そうだろ」
「はい」
「警察はな、商売をやるなっていってるわけじゃない」
「・・・」
「やるなら法令を守れっていってるだけだぞ」

繰り返すけど、本音を書かれたことが情けなかった。

今まで情けないことばかりで、ちっとやそっとの情けないじゃぁ、いや、かなり情けないことであっても、動じることはない自負はあるのに。

今さら、情けないなんて思いに取り付かれるはずないのに。

「誰だって生きていかないといけない」
「・・・」
「でも、考えろということだ」
「・・・」
「じゃ、これで、調書は終わりだな。指印でいいな」

まだ、終わってない。
自分の本音は、自分の手で書きたい。

いや、書く。
書かなければいけない。
自分がやったことは、自分で書かなければいけない。

留置場に戻ってから、すぐに書きはじめた。


この本を読んだきっかけ

そのときの逮捕は、違法営業の22日勾留。
釈放されてからも、ずいぶんと書いた。

すべてが、官能小説まがいとなってしまったが、サイトも作成してUPもした。

で、気がついた。
書いたものは、いちばんに自分が読んでいる。

誰でもない、自分が隅から隅まで読んでいる。
誰の感想でもない、自分の感想だけが確かだった。

そうすると、どう生きるかも少しは見えてくる・・・と言いたいけど、そこまでは無学者の悲しさで言い切れない。
見えてくるのかなぁ、という程度。

で、どう生きるかというのが・・・
どう生きるか?

・・・ 余談がすぎた。
「君たちはどう生きるか」の感想文だった。

で、この本は、少し前にはなるが、新聞でも雑誌でも、今売れている本という広告を何度か目にした。

ベストセラーだという。
だけど吉野源三郎も知らないし、あらすじもわからない。

題名はいい。
「君たちはどう生きるか」なんてグッとくるものがある。

1度は読みたい。
読み終えたときには、今までとは変わった自分がいるのかもしれない。

なんてったって、ベストセラーだ。

官本を選ぶ時間は5分。
これは、まちがいないだろうと借りた。

単行本|2017ページ|304ページ|マガジンハウス

読み終えた当日の感想

なんといえばいいのだろう。
やっぱり情けない。

久しぶりに情けなかった。
今まで情けないことばかりで、ちっとやそっとの情けないじゃぁ、・・・いや、それはもう書いている。

この情けないは、一言で書けない。

まず、主人公の本田の、・・・本文ではコペル君となってるが、それがすでにこっぱずかしいが、とにもかくにも、その本田の級友で、家業が豆腐屋の息子がいる。
浦川君という。

その浦川君が学校を休んだ。
心配した本田は、学校帰りに家を訪ねた。

すると浦川君は、店で油揚げを作っていたのだ。
売れ残りの豆腐をスライスして、油の鍋で揚げていたのだ。

ここの場面だ。
「えええっ!」と目を見開いてしまった。

学業よりも、家業を優先にして手伝っている浦川君の姿に感銘したのではない。
もちろん、本田などどうでもいい。

油揚げとは、豆腐をスライスして揚げたものということを、自分はこの年になって初めて知ったのだった。

油揚げがどうやって作られるのかなんて、今まで瞬間も考えたことがなかった。
考えもしなかった自分にも「なんで?」という衝撃がある。

もちろん、油揚げはよく食べる。
味噌汁に入ってるとうれしい。

豆腐屋だって近所にあった。
緑のタヌキより赤いキツネだし。

それでもどうやって油揚げが作られているのかなんて1度も考えたことがなかった。

じゃあ、油揚げはどうやって作るのかと聞かれたら、なんかこう “ 油揚げの元 ” みたいな茶色っぽい練り物があって、それを四角くして油で揚げる程度しか考えてなかった。

だって「油揚げってどうやって作るの」なんて会話する?
「油揚げって豆腐を揚げるんだよ」なんて雑学で聞く?

・・・ 話が飛んだ。
なぜ、情けないのかだ。

要は、油揚げの作りかた以上を得ることがなかった。

読み終えてから、それではヤバイと一生懸命に考えたけど、どうしても油揚げの作り方がいちばんに心に残っている。

自分にとって「君たちはどう生きるか」といえば、油揚げの作り方を知った本となってしまう。

世代を超えた名著だというのに。
人生の教科書だとも絶賛されていた本なのに。
自分が自分で残念でうなだれる。

読んでみてこんな体たらくでは、自分は人として終わってるのではないだろうか?

ベストセラーに感動できなかったことにも自己嫌悪が交じって、基本的な知識の欠如も実感して、情けないとうな垂れたのだった。

どのくらい情けないのかって?

もう、全裸で街を走れるほどに情けない!

読み終えた翌日の感想

読み終えた直後は、取り乱してしまったのかもしれない。

冷静になってみると、この「君たちはどう生きるか」はいい本である。

ちょっと煽りすぎかな、中高生向きの本かな、感受性が鈍くなっている大人だとキツイな、とは思う。

コペルニクスから “ コペル君 ” というあだ名がつくように、この本には深い意味があるのだろうけど、それを探るよりも次の読書にいったほうがいい、とも思うところもある。

勉強、友情、いじめ、貧富の差、暴力、過ち、といった普遍的なテーマが、15歳の少年の目を通して扱われていて、それが時代を超えて読み継がれている所以だともわかる。

どうも叔父さんが好きになれない

昭和12年に原書は発行された。
昭和37年と昭和46年に修正されて、現在の作品になったとある。
約80年という年月を経ている作品となる。

しかし、コペル君がお坊ちゃまだ。
戦前の富裕層の定番の “ 女中 ” だって家に控えている。

で、そこに割り込んでくる、これもまた戦前の定番の “ 書生 ” をしている叔父さんの言文が、なんとも青臭さい。
15歳の素直な少年に正論を説いて、1人悦に入っている。

この叔父さんが、どうも好きになれない。
働いている貧乏な浦川君のほうが立派に感じた。

登場人物

本田潤一
15歳。
当時の学制での中学2年生。
大手銀行の重役だった父親は2年前に死去。
ばあやと母親、女中の4人暮らし。

叔父さんにより、コペルニクスからのコペル君とあだ名を付けられた。

叔父さん
本田の母親の弟。
近所に住んでいる。
大学を出て間もない法学士。

本田には真摯に接して、多くの知識と気づきを与える。

北見
本田の同級生。
品川の大きな洋館に住んでいる。
体つきは頑丈で、思っていることはどしどしと言う性格。
 
からかわれている浦川の味方をしたことから、本田は好感を抱いて友達となる。

水谷
本田の小学生からの同級生。
いわゆる、仲良しグループの一員。

浦川
本田の同級生。
家業は豆腐家。
クラスの中では貧しい家庭となる。

あらすじ - 叔父さんの本音風

※ 筆者註 ・・・ 以下、正確さはありません。正確を求める場合は本書を読むのをお勧めします。本文には沿っていて、発言はほぼ抜粋ですが、叔父さんの本音と行動はすべて推測です。おそらく、叔父さんに一種の “ クズ臭 ” を感じてしまって、このような惨状になってしまったと思われます。

叔父さんは無職を隠したい

ある日。
私は、銀座のデパートの屋上にいた。

連れてきた15歳の甥は、街を眺めている。
無邪気なものだ。

するとどうだ。
甥は「人間同士がお互いに結びついて社会が成り立っている」などと話してきたのだ。

無職の私にとっては、その話題は回避しなければならない。
実際の社会の話になったら、ダラダラと無職を続けている身には具合がわるい。

いや、私は無職ではない。
法律を学ぶ書生なのだ。

私は咄嗟に、甥の話を “ コペルニクス ” に転換した。
話を転換しなければというのが、コペルニクスに結びついて口から出たのが、順番としては正確である。

が、コペルニクスなど知らない甥は、ひどく感心している。
“ コペル君 ” という、あだ名を付けたのは成り行きだった。

いい大人が、こんなあだ名を付けるなんて、ちょっとこっぱずかしくもあるが、甥はアホみたいに気に入っている。

つい「その気持ちを忘れないように」と、もっともらしい理由をつけて、無職へつながる疑問を封じることに成功した。

私は、大人になったようで、気持ちがよかった。
甥には、褒美として文具など買ってやった。

もちろん、姉からもらったカネだ。
浮かせた分で酒を買うのだった。

実は叔父さんは陰険だった

今日も甥は、学校での出来事を話してくる。
私は、おもむろにうなづき、ただ聞いている。

甥は手なずけたいが、もしかすると、私をただの暇人だと思っているのだろうか?

だとしたら、もっと忙しいふりをしなければだ。

それはそうと、甥の話すことは、ほほえましくもある。
北見君と友達になった。

その北見君は、学級内でからかわれていた浦川君を「弱い者いじめはよせ!」と助けたこと。

その浦川君は、からかっていた相手を許してやるように言ったという。

なかなかできないことだ。

私だったら、誰がやったのかわからないようにして、椅子に画鋲を置くなどで嫌がらせをするのに。

しかし、甥の前では、もっともらしくうなずいた。
私は、大人になったような気持ちになった。

叔父さんが説く貧困問題

甥は、浦川君とも友達となったという。
そして、学校を休んだ浦川君の家に見舞いに行ったとも。

いいことだ。
浦川君はいい少年だ。

するとどうだ。
浦川君は、豆腐をスライスして油揚げを作っていたという。

私は驚いた。
油揚げのつくり方など、はじめて知ったのだ。
そんなこと、今まで考えたことがなかった。

しかし、甥にはそんなこと言えない。
甥の前では、全知全能の叔父でありたい。

私は咄嗟に、油揚げを貧困問題にすり替えた。

「貧しい暮らしをしている人というのは引け目を感じて生きている」と咄嗟に話したが、甥は素直にうなずいている。

そうか。
そもそもがそうなのだ。

私も、甥もそうだが、富裕層だから労働など必要ないのだ。

貧乏人の浦川君には、富裕層側として一線を引いて下に見ることも必要なのだ。

さすがに、そこまでは甥には話さないが「世のために役に立つ人間になってくれ」と締めくくると、なんだか納得しているようだ。

いいことをいって気分がよかった。
私が甥の年のころには、世の中のためなど全く考えてなかったというのに。

なんにしてもだ。
油揚げのことを考えたからだろうか?

腹が減った。
無職でも腹は減るのだ。

今日の晩メシはなんだろうか?

叔父さんの対人術

そろそろ、甥が学校から帰ってくるころだ。
私は昼寝をやめて、飲んだビール瓶を隠した。

机に向かい、枕にしていた六法全集を開いた。
忙しいふりをしなければだった。

案の定、顔を出した甥は、今日の出来事を話してきた。

なんでも、水谷君の家で、皆で楽しく遊んだらしい。
水谷君のお姉さんからは、ナポレオンの話を聞いて「すごいなぁ」と思ったとのことだ。

そうか。
水谷君には、お姉さんがいるのか。

私としては、ナポレオンなんかよりも、お姉さんのことをもうちょっと聞きたいが、そうもいかない。

私は、いつだって清廉潔白な叔父でありたい。
差し当たって、水谷君は大事にしなければだ。

厄介なのが柔道部の上級生。
学校の気風を一新するために、北見君に制裁を加えるという話を耳にしたという。
そのときには、皆で立ち向かおうと約束したともいう。

くだらん話だ。
気風など、一新など、どうでもいいではないか。

それに、私は一切の暴力は反対だ。
もし戦争がおきたとしても、徴兵は回避するつもりだ。

それが利口な生き方ではないのか?

戦場で泥にまみれることを考えると夜も寝れない。
でも、このご時勢、そうもいえないので黙ってはいるが。

ともかく、甥とは、ノートを交換することにした。

理想だ。
この年齢には、もっともな理想で煙に巻くしかない。
理想とは若者を操るためにある、と誰かもいっていた。

それが理解できて、施すこともできる私は、いつの間にか大人になったのだ。

ついでのようにして、姉からは “ ノート代 ” として、いくらかのカネをもらった。

私が今、一番重要に考えていることは、こずかいをいかに増やすかだった。

叔父さんのトラブル解決法

柔道部の上級生が下品だ。
北見君を殴ったという。

雪が降って、雪合戦をしているときに、柔道部の上級生がやってきて、いきなり殴ったという。

しかも、上級生に立ち向かった水谷君と浦川君も、一緒に殴られたらしい。

まあ、貧困層の浦川君は殴られたっていい。
が、水谷君は、お姉さんが悲しむことだろう。

とにかくもだ。
甥は、それらをただ見ているだけだったと、しょげている。

怖気づいたという。
さすが、私の甥だ。

殴られた3人は、泣きながら校舎に向かっていき、それを見送った甥は1人で帰ってきたのだ。

3人を裏切った気持ちだという。
悔やんでいるという。

どうしようか。
放っておけともいいたいが、甥は真剣に悩んでいる。

これはもう、正直に謝るしかないのではないか。
手紙がいいか。

ダメだったら甥の謝意が伝わってない、うまくいけば私のおかげ、という方向でいくしかないか。

甥は言われるがまま、謝罪の手紙を書いた。
そうして、また連中と仲良しになった。

私は、甥に感謝された。

実に、15歳というものは与しやすい。
むずかしく考えることもなかったのかもしれない。

私は大人になったのだ。
なにもしてないけど、気分だけはよかった。

その件で、甥はなにかを考えたようで、今日もノートになにやら書き込んで渡してくる。

早起きして書いたらしい。

ノートを開くと、私が話したことへの感想がびっちりと書いてあった。