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東武大師線の可能性

こんにちは。国会議員を目指す高校生Taro Nakaです。
今回は、鉄道について書いていきます。
今回は、関東圏外に住む方だと、わかりにくい内容かもしれません。
見てくれると嬉しいです、多くの方に。

皆さんって、「東武大師線」って知ってますか?

「東武大師線」は、東京都足立区西新井駅~大師前駅間を走行する東武鉄道の路線です。(下にWikipediaの概要を記載しておきます。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%AD%A6%E5%A4%A7%E5%B8%AB%E7%B7%9A

概要
東京23区内にある旅客営業路線では京成金町線・西武豊島線と並んで数少ない全線単線路線である。この路線は、西板線(伊勢崎線西新井駅 - 東上本線上板橋駅間 11.6km)計画のうち、用地確保が完了した用地を使用し、西新井大師(総持寺)参詣者の輸送を目的として1931年に開業した。1968年の環七通り拡幅の際に線路用地の一部を提供したため、営業キロが100m短縮され1kmとなり、1991年には西新井駅近辺を除き高架化されたために東武鉄道では唯一、踏切が全線において存在しない路線となった。
途中駅は無い。大師前駅には自動改札機・自動券売機・自動精算機は設置されておらず(入口にその旨が掲示されている)、同駅の乗車券発売や改札などの機能は、西新井駅構内の乗り換え通路上に大師前駅からの乗車券が購入できる券売機や連絡専用の自動改札機を設置して対応している。よって、大師前駅からは、定期券乗車客や企画切符乗車客以外は有効な乗車券を持たずに乗ることになる。他に同様の形態をとる駅としては、名鉄築港線の東名古屋港駅や山陽本線(和田岬線)の和田岬駅、阪神武庫川線の洲先駅・東鳴尾駅が挙げられる。

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ただ、他の路線とは明らかに違うところがあります。
上の写真を見てもらうとわかると思うのですが、「単線」ですよね!
他の路線でも単線の路線がありますが、もう一つ特徴があります。

実は、2両編成で運転しているんです。

バリバリの東京都内で走っている鉄道なのに2両編成。
そして、運転距離は約1キロ!
しかも大手私鉄会社の東武鉄道の路線。

本当に、これが東武鉄道の目的だったのでしょうか?

まぼろしの西板線~時期が悪かった~

西板線」というワードを初めて聞いた人も多いのでは無いでしょうか。
西板線は、1930年代に東武鉄道が計画していた路線です。

まず、東武鉄道の現在の路線図を見てみましょう。

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写真の少し左下辺りに「大師前」と書かれています。これが東武大師線です。
東武大師線の上にある青い線があります。これは、東武東上線です。
地図を見ればわかると思いますが、東武東上線と東武伊勢崎線は繋がっていないんです!!

東武東上線は、もともと東上鉄道という鉄道会社でした。
ですが、東武鉄道に吸収合併。そのことから、東武東上線という名前が付けられたと言われています。

普通、同じ鉄道会社の路線は、どこかでクロスするんです。
例を上げるを、西武鉄道。

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西武鉄道は、西武池袋線と西武新宿線を主として東京と埼玉、多摩地方を結ぶ鉄道会社です。

上にも地図があるように、池袋線を新宿線は「所沢」でクロスしていますね。

随分話がそれてしまいました…が、

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伊勢崎本線と東上本線はクロスするところ(乗り換えできる駅)がありません!

そこで、伊勢崎本線と東上本線を結ぶ路線として計画されていたのが、「西板線」でした。

1922年(大正13年)5月5日 鉄道免許状申請(足立郡西新井村-北豊島郡上板橋村間 動力蒸気)[2]。

Wikipediaの文章を引用しました。
南足立郡江北村は、今で言う足立区西新井辺りのことを指します。
北豊島郡上板橋村は、今で言う練馬区上板橋辺りのことを指します。

1922年には、「西板線」の建設計画が進められていました。

じゃあ、なぜ断念したか。

これには、1923年に発生した「関東大震災」が大きく関係してきます。

西板線の建設は震災復興計画と抵触するなどして頓挫してしまったのです。

あともう一つの理由:建設費用の高騰です。

当時建設中だった荒川放水路の堤防などの護岸整備が完了しておらず架橋の設計ができないこと、荒川放水路と隅田川を跨ぐ橋梁の建設費用の問題、予定地の町関係者からの経路変更要求への対応画策などの問題が起こり、その対応に忙殺されているうちに、大正末期から昭和初期にかけて路線予定地が急速に市街地化されたため「建設費が高額となり、採算の見込みがない」との理由で、西新井 - 大師前(地図)間開業の翌年、1932年に鹿浜 - 上板橋間の起業を廃止した[7]。

Wikipediaの文章を引用しました。

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上の写真を見てみて下さい。この画像は、西板線の走る場所の想定した路線図です。
この青い線は、環状七号線という道路の地下を走行する形を想定したものです。

途中、荒川と隅田川を架ける橋が必要ですね。
橋の建設とトンネルの建設は高額になってしまいます。

また、計画中に急速に住宅が建ち並んでしまって、立ち退きを求めるための費用なども多くかかるようになってしまったので、西板線の計画は幻になってしまいました。

もし実現すれば…?

もし、実現していればのことを想像してみます。

まず、現在のところ鹿浜周辺は、交通手段がバスしかなく交通の便が全く良くありません。

鉄道駅が近くにないので、車か自転車での移動を余儀なくされます。

ですので、この西板線が実現していれば鹿浜周辺の住民は交通の便が良くなり、町の発展に繋がるかな、と思っています。
将来的にも、新たな商店やビルなどの区画整理も行われると思います。

さらに、江北や鹿浜などの足立区から池袋までの通勤・通学時間が大きく短縮する可能性があります。

西新井~板橋~池袋

と西板線から東上線への直通運転が可能となった場合、都心へのアクセスがしやすくなりますね!

頑張ればお金は確保できる!?

墨田区にある東京スカイツリー。

とんでもない高額の売上を出す東京スカイツリーは、東武鉄道が経営しています。

観光名所として日本人だけでなく外国人観光客も多く来ています。
スカイツリー、そして伊勢崎線と東上線がある限り東武鉄道は資金面では余裕があるのかなと思っています。

当初の計画時にはスカイツリーが無かったので、東武鉄道の資本が無かったのだと思います。
ですが、今の東武鉄道なら出来る計画だと思っています

もし、計画が再開されたら嬉しいですね。

今回はここまで。最後までご覧頂きありがとうございました。



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