「浪人してもワセダに入ろう」<早稲田進学,1984.1>

  わたしは二浪して早稲田に入った。別に、早稲田をねらって浪人したわけではない。高校を卒業するまで、まったく勉強したことがなかったので、一浪のときも受けた大学を全部落ち、もう、ついでだと二浪した。一浪のときはどうせムリだろうと、早稲田は受けなかった。

 今でもよく覚えているが、通っていた予備校の最初の校内模試で、英語はなんと9点、偏差値11だった。要するに、問題はすべてチンプンカンプン、記号のところだけ適当に穴埋めしたら、いくつか合っていたのだ。順位は10800人中、10100番ぐらいだった。後にまだ、500人以上もいると感心した。国語と社会をたした平均でも、偏差値は30もいかなかった。それが二年目の夏には60を超えたのだから、我ながらエライと思う。英語は偏差値が50もあがった。もとがよっぽど悪くなければ、不可能な数字だ。

 睡眠時間5時間、6時間でがんばった記憶はないが、二日以上つづけてさぼったことも、二年間のあいだ、いちどもなかった。

 さて、早稲田にはったときは、二浪のあとで疲れていたし、大きな夢と希望を抱いて、というわけではなかった。入学式も、ジーパンにジャンパーだった。

 大して期待しないで行ったのだが、やはり、早稲田に入れてよかったと思う。とくに文学部には、早稲田の文学部に来たかった、という人たちばかりが集まっているので、それなりの活気がある。田舎では変人だった人も生き生きしている。

 わたしがこうしてなにかを書きつづけていられるのも、早稲田の文学部にはいり、文芸専攻にすすんだからだ。文芸専攻には、小説をレポートとして提出できるゼミがある。卒業論文にも小説を書くことができる。もちろん、小説は教室で教えられるものではない。教授はものを書く基本姿勢については話してくれるが、小説の書き方なんて、教えてはくれない。それでもゼミの仲間たちと互いに書いた小説を批評しあうことで、かなりのものが身についたと思う。そのとき書いた小説も、ゼミの教授の推薦で「早稲田文学」という月刊誌にのせてもらい、さらにそれを講談社の編集者が読み、本にしてもらえた。

 高校を出てもなにもやることがなく浪人したのだが、やっぱりあのとき浪人してよかった。まだあんまり勉強していない高校生のみなさん、浪人してもがんばろうね。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?