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決断と独立のプレイステーション

初代プレイステーションは私にとって決断、独立、そして親離れの象徴である。

小学生時代うちは父親の方針でテレビゲームが買ってもらえなかった。
クラスの男子で当時ファミコンもスーパーファミコンも持っていないのは私と押田くんの2人だけで、押田くんから今度のテストでいい点を取ったらスーファミが買ってもらえることになったと聞いたときは、その裏切りに目の前が真っ暗になった。(結局押田くんはいい点が取れなかった)
友達にドラクエVの冒険の書を一つ貰い毎日のように通う日々。これが家で思う存分できたらどれだけ素敵か想像するも、当時親の言うことは絶対であった。

時は流れて私は中学生となりプレステやサターンが発売。相も変わらず私は友達の家に入り浸り、それらゲームを遊ばせていただいていたが、ある時山本くんという名の神がプレステ本体ごとFFVIIを貸してくれるというのだ。あのときは嬉しくて堪らなかった、それこそ寝る間も惜しんでプレイした。そして決心する、こんな面白いものを何故我慢しなくてはならないのか、どうせ頼んでも無理なのだから黙って買ってやると。

翌年の正月、いつもならお年玉の大半を親に預け貯金してもらうところ、その前に全額握りしめ大須のゲーム屋の前に立っていた。
ドキドキした、そんな高額なものを自分で買ったことがなかったし、買って帰ったらものすごく怒られるかもしれない。
しかしプレステへの思いはそれを上回った。今思えば本当に大したことはないのだが、それが生まれて初めて明確に親の命令に背き自分自身で決めたことだった。プレステを買った瞬間に確かに私は親離れを、独り立ちを成したと感じたのだ。

親からは意外とそんなに怒られなかった。
本体でほぼお年玉を使い果たしたため、最初に買ったのは中古で安かったRPG女神異聞録ペルソナというゲームで、あまりの難易度とエンカウント率に結局クリアは出来なかった。ただそれから10年以上経った後にゲーム会社へ転職し、その派生作品に携わることになったりもした。初代ペルソナを作った人と一緒に仕事をして、初めて買ったのがペルソナなんですという話をしたりして、人生はどう巡るか分からない。

話がそれた。
初代プレイステーションは素晴らしいゲーム機だが、それ以上に私にとって思い入れがある存在だ。
あれから進学、転職、結婚、海外赴任など人生におけるそれなりに大きい決断があったが、そのたびに思い出すのが大須でお年玉を握りしめプレステを買ったあの日の事なのだ。

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