黙らないならせめて歌って

 毎日のように言葉を捨てたくなる瞬間がある。「わかる」なんてどうしてそんな簡単に言える? わかってないことくらいわかってるよ。「わかんない」と言われるほうがよっぽど誠実だ。

 お前は全部マジだから怖いんだって誰かが言ってた。距離感近めだよねって別の誰かが言ってた。よくわからないけど、なんかそういうところちょっと多数派ではないらしい。社交辞令を真に受けるところとかだと思う。誰にでも誠実さを求めるところとか。上澄みだけをすくって飲むようなcommunicationの手法がこの世の多数派だって話? べつに自分もそういうことやらないわけじゃない。

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 自分の知らない映画のあらすじをあなたが話す間、踏み込むなって副音声的に言われてる気がした。communicationに見せかけたbarrier、の気がした。(だって映画のあらすじにはあなたの脳みそが入ってない)べつに怖がらせたいわけじゃないから、barrierの手前でcommunication的相槌を打つ。あなたにとって、今日のあなたと自分は、この距離感なんだろう。ということは、わかる、気がした。

 communicationは煩わしいし、ヒト一人と正面から対峙するのに必要な体力は途方もない。世の人々が上澄みだけすくって飲み交わすのはそのせいだろう。だけど本当は「わかる」とか簡単に言いたくない。かといって「わかんないからもう少し詳しく」で沈殿した概念を探れば、言葉が増えたぶん全体が濁っていく。だったらいっそよくわからないまま清も濁もただ眺めていたい。それって怖い?

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 言葉が増えれば増えるほどわからなくなるんだからもう黙ってほしい。黙ってくれないならキスしてしまいたい。(そんなんでわかるとも思わないけど言葉よりマシ)けどそんなことをしてはあなたを怖がらせてしまうとわかる、ので、barrierの手前で相槌を打っている。せめて情報じゃなく音としてあなたの声を聴いていられたらいいのに。

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