こうしてミソジニー男は自分の心から目を背け女の話を乗っ取る

「女のくせに」というワードがトレンドになったのを見て話題のツイートを見たら早速
「女のくせにってのが悪いっていうんじゃない、男のくせに、~のくせに
すべての~のくせに
っていうことがよくないんだよ!みんな気をつけよう」という
「男の」ツイートが善人ドヤヅラで舞っている。

よく「今まで命令されてきた側の女の主体性を復権する運動」をはじめて
まあそれをフェミニズムと称してもいいが、それをはじめると男がいつのまにかたかってきて「ヒューマニズム」に書き換え、いつのまにか「まあその中でなら、ぼくちゃんたち男がまずは優先だよね」と声をでかくして言うことになっている、という嘆きを聞いた。
男による「女の運動ののっとり」。

こういうことだな。
まずは一番の問題で治療し難い「女のくせに」意識について語れば男がすぐに
「でも男のくせにもあるもん!ぼきゅたちだって痛いことあるもん!ぼくちゃんたちの痛さは優先しないなんてさべつだ!」と言い出す。

その主張をソフトにして有無を言わさず、いいこと言ってるふうにして反論できなくしたのが
「みんなにあるよ。みんな悪い。みんな気をつけよう」だ。

「みんな加害者、みんな被害者」
この言葉で「女はどんなときに、誰に、なぜ、そう言われやすいのか」
「おまえはどうだ?言ったことがあるか、言われたことがあるか、どう思ってそれをしたのか、どう思ったか」という社会の構成員が一番焦点をあてるべき問題はうやむやにぼかされる。

一番の被害者と加害者の闇が深い問題と罪の所在をうやむやにして結局自分の心もごまかしてなでなでして安心して終わり。
そして被害者への蔑視は変わらずいつまでたってもジェンダー底辺、人権感覚底辺で、直さないのが大人になれないネオテニージャパン。

女性専用トイレの話をしていたらいつのまにかオールジェンダートイレの話にされている。
そして女子供が危険な度合いは改善されないままだ。草。

性犯罪の被害にあった女性のための運動が立ち上がれば男どもがわらわらたかってきて、いつのまにか運動がのっとられていて、
「性被害にあった女性をエンタメコンテンツとして眺めたい♂の会」みたいになっている。

よく見たことだ。

「僕が」悪いんじゃなく「みんな悪いよー」
一見正しさでコーティングしたこの反射的なカワシが自己弁護や逃げからきていないと心底思える人は
よく裏読み厨がいう「よほどのお花畑。詐欺にもあうよ。気をつけろ」だ。

こうやって「女性への蔑視問題」が
「みんなの問題」にされ、100%女性への意識を鑑みる機会だったものが
「これもある、それもある、女性への問題はそのうちの1/3でしょ」となり
1/4の問題となり、女の問題は削られていき、矮小化されていき、
その苦痛と声は消されていく。
誰に都合がいいかってその問題や自分の意識と向き合いたくないガキ男どもだ。

その手段としての「みんなが問題」
「僕の意識?僕よりみんなでかんがえよう!僕のを追求するのは置いておいて」
そして問題とガチで向き合うことなく被害だけは延々と続いていく。

陰湿で巧妙でしかも反射的なごまかし。

今まで踏まれてきた重傷の怪我人がようやく治療の順番で呼ばれて
あなたを治療する番ですというと必ず
「えっ?ぼきゅのささくれも痛いです!ぼきゅも同時にやって!むしろまずなんでぼくからやらないの!」とわめく男に邪魔され、
そして結局そのほっておかれたけが人を治療する順番は永遠にこない。(しかも怪我人を怪我させた加害者サイドの人が病院に乱入してきて治療を邪魔する)

こないので永遠に社会は暴力と怪我を直せない。なので変われないで衰退の体たらくw。

「みんなで考えよう」というならまず一番広範囲で根深く長い「女性蔑視を」みんなでとことん考えよう、だ。

加害者側にたってその文化を吸収してきた奴にとっては特にだが、
「自分や他人の意識をあらため点検して、他人を蔑視したいのはどんなときか、蔑視してスカッとしたことは今まで自分にはなかったか、今の自分は生活で蔑視的な思考をしていないか?なぜ蔑視したいのか、それはどこからきたか、などを考え、内省すること」はひたすらしんどく面倒くさい。

「みんなにある!みんな悪いよ」と言ったり聞いたりしたら、体裁も整うし、気分が楽になるのである。責任を自分で背負ってるんじゃなく「みんなに」ばらまけるから。しんどいことしなくていいから。
責任回避が最大のオフィシャルな対応、仕草としてしみついた国の人間っぽい。

それをまた、「無意識に」「善意のつもりで」「現実と向き合い、自分の本当の意識と対峙することを避けるスキルだけは子供の頃からたけているからそのことにはまったく無自覚で」「反射的に」やるのだから救いはない。

ていうかひとつの、また最も意識に根強くナチュラルに日常的に溶け込む女性蔑視をつきつめて状況を動かすことが、他の差別の解消につながるだろう。むしろそこからじゃないと他の蔑視もなくならないのでは。
全部同じ「社会を今構成している人の中の、少なくない人が、その意識が、他者蔑視を必要としている」から出るのだから。
最も広範囲で日常的な蔑視さえ直視できないから他の蔑視もそれからくるひどい事件も改善できないのだろう。

こうやってその場その場で「ぼきゅが悪いんじゃない。
問題はこれじゃない」とカワシていても問題はまったく解決しないから
50年前からこうやっているから50年間少子化にも経済にも
なんの有効な手も打てないまま衰退したのである。

草。

そしてこんなことを書いたとしても「またクソ女が男を悪者にしてる。ぺっぺ」とこっちの存在をブロックか罵って目を背けて終わり。

もうわかってる。

この島は捨てるしか方法がないことを。

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