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祖母と畑を耕して10円ハゲを治した

最近はベランダ菜園で育てているスナップエンドウが予想を超えてグングン伸びてきている。
「生命はたくましいなぁ」と感じながら、ふと3年前に日本へ帰国したときのことを思い出した。

3年前の冬、自分は体重が100kg以上あって、10円ハゲが5つあった。そのうちの一つは500円玉以上の大きさでもはや10円ハゲどころの話ではなかった。

特に医療的な話ではないが、自分の10円ハゲはこうして治った、という体験談を共有したい。
結論から言えば、「規則正しい生活をしながら心身をデトックスした」おかげだと言える。


なぜ自分がハゲたか

まず最初に事の発端を書こう。
自分がハゲたのはストレス以外の何物でもなかった。

当時の生活は以下の通り。

  • ベトナム生活2年程度

  • コロナ渦で住んでいたホーチミン市がロックダウン中

  • 日本在住女性とリモートで結婚したはいいが、婚姻届を出してから一度も会っていない(その後、1秒も会わず離婚した)

  • しんどすぎるスケジュールの案件を抱えており、三か月間ほど、一日20時間くらい仕事していた

  • 忙しい&コロナの影響で食事はほとんどマクドナルドのデリバリー

そりゃハゲるよ、という生活だった。
ベトナムの病院に行って塗り薬をもらったり、鍼灸を受けたりしたが、これといった効果は見られなかった。

帰国して落ち着いた生活を始める

結婚とベトナム法人の閉鎖を機に帰国を決めたわけだが、最初は茨城の田舎にある実家で過ごした。
これは国が定めた帰国者のルールでもあったが、そもそも帰国時にはすでに離婚していた自分には他に帰る場所もなかったのだ。

祖母が暮らす実家で最初にしたことは、当時抱えていた案件を終わらせることだった。
ちょうどよく帰国日をリリース日とされ、「鬼かよ」と思ったことを覚えている。空港から実家へと向かう最中、モバイルWi-FiでつないだPCでリリース作業をしたり、緊急対応をしたりしながらひたすら国道をレンタカーで走った。

案件が落ち着いた後は、ひたすらぶらぶらしていた。
SR400という好きなバイクを買ってカスタムしたり、おんぼろのプロボックスを買ってカーナビを装着したり塗装したり、祖母と畑を耕してご褒美にリポビタンDをもらったり。

皆さんご存じの通り、茨城は関東平野に位置するので、良い感じにだだっ広い大地を眺めて土を鍬で掘り起こすことになる。
これが非常に心をリラックスさせた。冬場でも、鍬を振るうとそれなりに体が温まり、良い運動となった。

完治したとき、山口県にいた

いくぶん茨城での生活に慣れた頃、香川県へ出張する機会があった。
そのときになんやかやがあって、その後、山口県の宇部市に引っ越した。おんぼろのプロボックスに荷物を詰め込み、1,000km以上の道のりを車で移動したんだ。

途中、鈴鹿SAで車中泊をして、一度も高速から下りずに山口県へ着いた。
山口でも静かな生活をしつつ、少しずつ仕事を再開しようと考えた。少しずつ、と思ったらめちゃくちゃ仕事増えた。
だが、自分の限界を知ったので人より多少仕事量は多いだろうが、自分的には抑えめで仕事できたので良かった。

たまにお酒を飲み、たまに走ったりする生活。
気づけば10円ハゲは跡形もなく消えていた。

茨城にいる間にだいぶ小さくなっていた10円ハゲが消失した瞬間だった。
ついでに10kg以上痩せた。

祖母との静かな生活

帰国、離婚、デブ化、ハゲ化した三十路を越えた孫はさぞ扱いづらかっただろう。
もともと祖母が口数が少ないこともあったが、祖母との生活ではほとんど会話らしい会話はなかった。だが、ひたすら祖母には感謝している。あの生活が自分のハゲを治してくれた。

もし今、10円ハゲで悩んでいる人がいたら、ぜひ静かで規則正しい生活に移行することをおすすめする。
もちろん状況が許さない人もいるだろうから、あまり軽々しく言うものではないとわかっている。だが、たいていのことはなんとかなる。
離婚しようが、仕事がなくなろうが、日本という国で生まれた以上、そうそう飢え死にする心配はない。

帰国して、米がうまいことに感動した。
帰国して、温かいお湯が必ずシャワーから出ることに感動した。
帰国して、水道水の水が安全なことに感動した。
帰国して、整った交通ルールに感動した。
この国は静かな生活に向いている。

できればSNSからも離れよう。
案外、この世界は自分から騒々しいところに迷い込まなければ静かな生活ができるんだ。
楽に生きることに罪悪感を覚える人もいるだろうが、ある程度年齢を重ねたら多少休んでも罰は当たらないだろう。

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