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高度異形成から上皮内癌になるまで。2008年の最初のレーザー蒸散術

年始早々入院しまして、子宮全摘出してきました。
私は2008年に子宮頸部に高度異形成の検査結果がでてから、レーザー蒸散術を3回、円錐切除術を1回しています。そして今回やっと子宮全摘出しました。

この記事を読もうという方の中には、現在、検査結果に不安になったり、手術を控えて不安になったりしている方がいるかもしれません。医師の説明を聞いて理解してはいても、心配ごとが頭に浮かぶととにかく検索してしまいますよね。

私もそうです。

だけど、自分の体と他人の体験が同じかどうかなんてわからないのです。だからネットで手に入れた情報がまるまる自分には当てはまらないということだけはご理解ください。
他人の体験を読んで、無駄に不安にはならないでください。

それでもわざわざnoteに書く理由は、私が知りたかったことだからです。どんな検査をして、どれくらいに検査結果が出て、どれくらいの通院日数なのかとか、実際の過ごし方とか。

2008年の手術から始まり、4回の再発、そして子宮全摘の通院と入院の経過をマガジンにまとめて書いてきます。

一人でも参考になる方がいれば幸いです。


■2008年の高度異形成が出てからレーザー蒸散術を受けるまで

■初めて高度異形成の検査結果が出た日のこと

この年、本当に偶然に気まぐれにブライダルチェックを受けました。とても軽い気持ちで。

検査結果に「子宮頸部高度異形成」と記載されていたのを覚えています。その時のクリニックの医師は「このまま放っておいたら3年で死んじゃうよ」と言いました。そして自費診療のお高い治療法をすすめてきたのです。1クール薬を塗るとかなんとか。

今思えば、ありえない言い方だし、保険適用でできる手術もあるし、ツッコミどころ満載なんだけど「3年で死んじゃう」ってパワーワードに私はパニックでした。

クリニックを出てから、既に癌を克服した友達に半泣きで電話したところ「そんな医者信じないで別のとこにいきな」って言ってくれて、他にも力強い言葉をもらい少しだけ落ち着きました。

しかしパニックおさまらぬ私は彼氏に別れ話をし、理由を問い詰められて打ち明けたところ「何も出来ないわけじゃないし出来ることをまだやってない。とにかく出来ることをしよう」と言われたのです。彼の言葉には今でも感謝しています。

誰かの人生に悲しい思い出作りたくないし、迷惑かけたくないって思いが強くて、1人でこっそり乗り切るつもりでした。そんな独りよがりな計画は簡単に阻止されましたがね。

思い返せば、本当にあの日は冷静じゃなかったし、その後しばらくよくわからない不安を抱えてました。

■次の病院を探す

当時はネットで調べても簡単な情報はあるものの、最終的にどの病院を選んでよいかまったくわからなかったです。

そこで、とにかく子宮頸がんについて書かれた本で、初版が新しいもの、改訂が新しいものを探して読みました。そうして、レーザー蒸散術という手術と円錐切除という方法があることを知ったのです。ただ、レーザー蒸散術はまだやっている病院も少なく円錐切除が一般的だったように思います。

とにかく選択肢は多い方がいいと考えて、レーザー蒸散術も出来る大学病院を調べ、その大学出身の先生が開業しているクリニックに診察に行きました。大体のお医者さんって紹介状を書く時に出身校を書くし、同じ婦人科でもより該当の病気の専門の先生宛てに紹介状を書いてくれるので。

最初の病院での結果を見せ、言われたことや治療法を伝えると「そんな治療は聞いたことないし手術で対処出来る」と言われたのです。

既に細胞診の結果はあるので、そのクリニックでは組織診をし、検査結果が出たあと大学病院へ紹介状を書いて頂きました。

【異形成のことをちょっとだけ】
子宮頸部異形成は病変の程度によって、軽度、中等、高度・上皮内がんがあります。子宮頸部の扁平上皮病変は、軽度異形成、中等度異形成、高度異形成・上皮内がん、微小浸潤扁平上皮がん、浸潤がんと段階的に進展することがわかっています。
私の場合の、高度異形成は前がん状態といってがんになる一歩手前の感じです。医学的な説明は出来ないので、詳しくはお調べください。

■大学病院でのレーザー蒸散術(1回目)

紹介状を持って大学病院に行き、初診と再度組織診。さらにレーザー蒸散術をするのは、ほぼ確定とのことなので、その日のうちに手術に必要な検査(採血、採尿など)は一通り終えました。大学病院なので時間はかかったけど、とってもスムーズでした。

初診から2週間後に検査結果を聞きに行き、手術日を決めました。

手術といっても、異形成のできた部分をレーザーで焼くだけです。手術当日は、術後の痛み止めを座薬して、30分後くらいに手術台にのり焼いてもらうだけ。痛みはレーザー脱毛に似た感じ。「痛かったら言ってね」と先生に言われるものの「痛くてもやめないですよね」って話せるレベルでした。(3回目の時はちょっと違ったのでその話はまた後日)

手術自体は10分程度で最後に痛み止めの薬をもらって念の為タクシーで帰宅。

手術日の流れは、座薬→着替え→手術→着替え→薬受け取り→精算。待ち時間も含め全部で3時間くらいです。

■ひと通りのかかった期間

①ブライダルチェック(いろいろな検査)

2週間後に結果がでるので再診

細胞診では、細胞をとるので検査日から1ヶ月間を開ける必要があります。

②セカンドオピニオンで組織診(①の検査から1ヶ月後)

2週間後に結果がでるので再診、紹介状をもらう

③大学病院で初診(②から1ヶ月後)

2週間後に結果が出るので再診、この時に手術日を決める

④日帰り手術
⑤術後検診、傷口の確認と細胞診(④から1ヶ月後)
⑥1年後くらいに経過観察のため診察、細胞診

その後は健康診断で何か出れば再診。

基本的に、細胞診して何もなければそこで終わり。細胞診の結果によって組織診。それぞれの検査の間隔は1ヶ月です。検査のためにとった部分の細胞がまたできるまであけないといけないので。肌のターンオーバーと似たような感じ。

組織診の結果次第で、経過観察か手術かきまります。検査をはじめてから終わるまで数ヶ月はかかるけど、通算の日数はそんなにかかりません。

■費用のこと

ブライダルチェックとかは、予防のための検査なのでちょっと高めです。検査の種類や数によるので病院の検査メニューに次第です。

すでに他の検査結果でなんらかの結果が出ていれば治療目的の検査になるので、保険適用なので診察含めて数千円。レーザー蒸散術の日に支払った金額は1万数百円でした。

うろ覚えだけど、予想外に安くて安心したのを覚えています。

■メンタルのこと

はじめて検査検査をきいたときは医者もアレだったので、かなりパニックに陥りました。それから、ちゃんと調べて治そうと前向きになったり、死ぬまで期間がわかるならある意味予定はたてやすいんじゃないかと思ったり。大切な人達のことを考えて悲しくなったり。とにかく浮き沈みは激しかったです。

平気そうにしていても、いつも心にひっかかっているし、夜に1人の時なんかは泣いてしまったり。とにかく最初の医者に言われたことが頭の中をぐるぐるまわったりして。

でも、この精神状況って死を意識するような病名を伝えられた人には起こることらしいんです。辿る精神状態のステップみたいなのがあって、私はマニュアル通りにその状況に陥っていました。

「出来ることをする」って言葉はこの時もこの後もいろんな場面で私の支えになっていて、もやもや考えが浮かんだときは、この言葉を唱えるようにしてました。

■まとめとお願い

ここまで読んでくださってありがとうございます。この後、2回目、3回目のレーザー蒸散術、円錐切除、子宮全摘出についても書いて行く予定です。

あくまでも私の経験したこです。同じ検索結果でも治療方法や期間が同様に当てはまるとは限りません。また、書いてある言葉も覚えている限りなので用語が医学的にみたら違うこともあるかもしれませんので、参考程度にお願いします。

それから、子宮頸部高度異形成はちゃんと処置すれば治せないものではありません。すぐに癌になるものではありませんが、タカをくくらずちゃんと病院にいって治療してください。

最後に、私が最初の検査をうけたのは30歳の時です。まだ健康診断で婦人科検診が入っていない年齢です。

私の場合、その後の再発や進行具合的にあの時気まぐれに検査を受けていなかったら、健康診断で見つかる時には癌になっていたのではないかと思います。最初の医者が言ったことが現実になっていたかもしれません(言い方はどうかと今でも思うけど)。

会社などの健康診断でオプション数千円で検査を追加できるなら追加して検査しておけば安心です。おどすわけではないけれど、早めにわかれば出来ることも多いし、安心も買えるので。

それではまた。

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