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当たり前のこと

亀井忠雄先生には、観念臭というものが微塵もなかった。

国立能楽堂の二階、第一稽古室が決まりのお部屋だった。
ノックして扉を開け、ご挨拶して先生の2メートルほど前に座る。
「今日は?」
「羽衣をお願い致し…」
「ヒーヤー、ヒー」
間髪入れず、一声が始まる。
あとはもう、行けるところまで行くしかないのだった。

「謡をうたえ」
「鼓は鳴らさなきゃ」
「掛け声」
「真っ直ぐ打て」
「人の舞台を見ろ」
「上手い人を追いかけて真似しろ」
「楽屋で謡本を見るな」
「稽古は手組じゃなく、位を習うもの」
「申し合わせでも稽古能でも、舞台へは着物を着て上がれ」
「お客様を大事にしろ」
「着物を掛けっぱなしにするな」
「トイレでスリッパも揃えないやつが、伝統とか言ったって仕方ない」

仰られていたことは、思い返せば全て当たり前のことである。
学校で言えば、小学校の低学年で習うようなことだ。
しかし凡百の我等は、ついそれらをおろそかにしてしまう、言い訳をしながら。
「忙しくて」
「風邪を引いちゃって」
果ては
「昨日飲みすぎて」
「最近、彼女とうまく行ってなくて」
まで。

先生は、当たり前のことを、真実当たり前になさった方なのだろう、と想像している。
そしてそのお舞台は、当たり前とは程遠かった。
型を通すことで、返ってその人の個性が強く表出する。
古典芸能の本道を体現されていた。
当たり前が出来ない私には、厳しく、恐ろしく、眩しく輝く存在であられた。

突然の訃報から早くも一月が過ぎ、改めて先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
今までありがとうございました。
そしてこれからも、ご指導何卒よろしくお願い申し上げます。

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