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独り言、はじめます。

こんにちは。たなです。
なんかこう、つらつらと書き連ねてみたくなったので
blog始めました。
いろいろ話したいこととか、聞いてほしいこととか、楽しい話なんてのも書いていきたいんですけど、2021年は僕にとって本当にいろいろあったんです。
楽しかったことが全部ひっくり返る出来事もあったり

今日は初めにそのことについて書いていこうと思います。

僕の日常

基本的に、在宅で仕事の僕は、平日8時には起きて、コーヒーを飲み
1日のタスクを組み、10時には仕事をはじめ、1人でごはんを食べて、電話して、坦々と仕事をこなし、夜に寝る。
こんな生活をしています。もちろんたまにはお酒も飲みます。
あと、仕事はどこにいてもできる。
土日は、現場に出てマネージメントや、数字管理等の仕事をしてます。

会社員ではないので、同僚はいません。
少し前までは、ごく普通のサラリーマンだったので
会社で同僚とお話しながら仕事をしていたことも、悪くなかったななんて思うこともありますが、今の環境は自分自身とても成長したと感じることが多く、やりがいのある仕事だと思ってます。

ここ最近は冬ですし、寒い日々が続いていますし
家から一歩も出ない日もあります。
まあ、それも良しとします。

11月に起こった悲しい出来事

11月16日に、僕の母がこの世から去りました。
病名は、すい臓がんでした。
2021年3月にすい臓がんということが分かって、治療をはじめ、手術も行い、安心はできないけれど、通院という形で抗がん剤の治療が始まったそうで。
その時、長男である僕は、滋賀県のほうに出ていましてね。
この話はまたいつかしましょう、、、実家が埼玉県なので、帰省することがなかなか出来ず、僕の父と、弟がその間全てやっていてくれまして。
現代には、ビデオ通話なんて機能があるもんですから、遠方にいても会える。そんな感じで母とは会話もしていました。
日に日に、瘦せていく姿は正直ビデオ通話ではなかなかわからない部分もありましたが。

それから7月に、1カ月埼玉に戻ることができて、母に会ったんですが、容姿は変わり痩せて小さくなった母。
病気の怖さも感じながら、「久しぶり!!!」なんて会話で泣いていたのを思い出します。

そこから、8月に僕は仕事で、京都に行くことになり
1年後に、必ず戻るから待ってて!なんて話をして、僕は京都に今も住んでいます。
そこからは、頻繁に母からのビデオ通話。
もう28歳にもなるいい大人なんだから、飯は食ったのか 洗濯したのか 洗い物したか なんて言われなくれもやってるわ!!なんて会話でした。
当たり前の会話が当たり前じゃなくなることなんかも知らずに。

10月末に母の体調が急変
食べれない 飲めない 
そこからはあっという間でした。
あれ、昨日元気に話してたよな? なんで?
そんなことばかり考えて仕事が手につかず。

そんな時、母に言われたこと
「今、行動を起こせない人に次回とか、未来とか言う資格ないよ」
この言葉に、しびれるものを感じ、仕事に向き合い
大事な現場は大成功した。

その2日後の母がこの世から去った。

死に目には会えず、遅れて埼玉に戻り、母の同級生や僕の高校の頃の同級生たち
たくさんの人が集まってくれた。
葬儀も終えて、ひと段落し、今度は自分の体調が悪い。
というのも、どこか元気出そうとか 笑ってようとか思って人に接していた自分のキャパオーバーだなとわかった。

最近の日々

最近は、なんかこうやるせないというか
もやもやするというか、つまんない、何もない日常だなって思って生きてる。
夜は全然寝れないし、飯も食いたくないなって思うし、今までメンヘラの気持ちとか一切わからなかったけど、今は多分メンヘラになってるんだ自分って理解してる気がする。

良く日本人は、誰かと比べたり、頑張らなきゃいけないとか
口にするけど、僕はそうは思わなくなった。
というのも、これは母の教えだった。
「やりたくないなら、今すぐやめてしまいなさい。やってて意味がないから」
だから今は毎日ゆっくりやるべきことだけやって、時間があれば音楽聞いたり、母の言葉を思い出してはメモしたり、昼寝して、ゲームして、仕事もして、好きなように生きてる。
なんかこうまとまらないけど、書きたいと思ったことをまとまらないまま書き連ねていくのも悪くないな。
次は、もっと明るくて面白いないようで、書けたらいいなー

では、また。



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