【メンバー紹介リレー⑧】岩下 小太郎【南関町地域おこし協力隊】
こんにちは!
連日の暑さの中の農作業で、顔から腕まで真っ黒になりつつある荒尾市地域おこし協力隊の堀です!
前回は南関町地域おこし協力隊OGの高橋さんからご紹介頂きました!
↑ 前回の紹介記事はこちら!
さて、今回自分がインタビューさせて頂くのは令和2年度の6月から 南関町の地域おこし協力隊に着任された、岩下小太郎さんです!
歴史好きな自分としては、お名前のインパクトに少し面食らいました...笑
インタビュー場所として、ご紹介されたのは、
こちらの南関町御茶屋跡。
自分は今回初めて訪れたのですが、
正式名称 豊前街道 南関御茶屋跡 は 1852年に建てられて以降、参勤交代の時の藩主の休憩所や宿泊所として用いられた建物であり、2003年から補修工事が始まり、翌年に修理が完了。
2005年からオープン。
抹茶と干菓子が無料サービスになっていて(令和2年度8月現在は中止)季節毎に様々なイベントの会場にも使用されています。
自分は地域おこし協力隊に着任して、約1年が経ちますが、インタビューを務めるのは今回が初めて...
お手柔らかにお願いします 汗
堀)本日はよろしくお願いしますー!
岩下)(以下岩)よろしくお願いします!
【基本データ】
名前︰ 岩下小太郎(いわしたこたろう)
出身 ︰熊本県阿蘇市
年齢 ︰29歳
趣味 ︰ 琵琶演奏、料理
業務内容 ︰SNS情報発信
地場継承
↑仮装を施しての演奏も多いそうです!(画像は狸の仮装)
4月から着任された岩下さんですが、自分は今回がお初ではなく、森本会長の「俺家」にて開かれた、6月度のTANのミーティングにてご挨拶はさせて頂いてました!
堀)先日は色々とお世話になりまして...汗
岩)いえいえ 笑
自分が森本会長から、TANメンバーで食べるピザの生地、具材の盛り付けを仰せつかって 持ち前の不器用さを発揮して、生地作りに絶望していた時に、颯爽とピザ作りを伝授してくださったのが 小太郎さんでした...!
↑自分が作る生地は毎回ポツポツ穴が空いてしまい、とても人にふるまえるピザではありませんでした...汗
阿蘇にいらっしゃった時から料理をよく嗜まれていたようで、SNSにはよくご自分で作った料理の画像を投稿されているみたいです。
小太郎さんのSNSには ♯南関っていいなぁ をテーマに日々南関の歴史を綴られていますので、チェックしてみてください!
↑画像は三つ葉と牛肉のサラダ!岱平窯様のお皿も相まって、映えが凄い・・・汗
―――――――――協力隊になられたきっかけ
堀)ではさっそく・・・
最初に協力隊になられたきっかけを教えてください!
岩)肥後琵琶師である山鹿良之 師 の在住されたのが南関町で、そのご縁で南関町の特産品や風土を知れば知るほど、南関町の事を好きになり、この町で肥後琵琶の普及に携われれば、と思い移住を決めました。
お話で出てきた山鹿良之さんは、明治34年(1901年)熊本県玉名郡大原村(現南関町)のご出身で22歳のときに天草の座頭、江崎初太郎 氏 に師事、琵琶語りを習得。
以来約70年、肥後琵琶の伝承に情熱を燃やし、5時間以上ある語り物を500曲以上弾き語られたそうで、1992年には 「最後の琵琶法師 山鹿良之 」 という映画も作成されました。
堀)なるほど・・・山鹿良之さんは小太郎さんを初め、今もたくさんの琵琶法師の方に影響を与えている方なんですね。
小太郎さんが琵琶を演奏されるきっかけはなんだったんです?
岩)18歳の時に邦楽の演奏会に行った時に、たまたま隣にいた奥様と知り合いになって、その人に琵琶の先生を紹介して貰ったことがきっかけですね。
堀)小太郎さんにとって、運命の出会いだったんですね!
18歳の時にそのお師匠の元で筑前琵琶を習い始め、20歳の時に肥後琵琶を知って、なんと学生時代に、この御茶屋跡で演奏会をされていたそうです...!
この御茶屋跡は小太郎さんにとって、とても馴染みの深い場所なんですね。
――――――――――――琵琶について
話は琵琶の話題へ。
取材当日は琵琶をお持ち頂きました。
堀)今日は琵琶を3面も持ってきて頂いたんですね、重かったでしょう 汗
わざわざありがとうございます。
岩)筑前琵琶と肥後琵琶、音の違いを伝えたくて!
↑手前から筑前琵琶(5弦)、筑前琵琶(4弦)、1番奥が肥後琵琶。
・そもそも琵琶とは・・・
琵琶は古代のイランで生まれ、紀元前2世紀に中国(漢)に伝わり、日本には奈良時代の初めに伝わった。
日本の琵琶には大きく2つの体系があり、
1つは雅楽の合奏に用いられる「楽琵琶」、もう1つは盲目の僧によって九州地方を中心に宗教音楽の伴奏として用いられた「盲僧琵琶」。
盲僧琵琶は後の 「平家琵琶」「薩摩琵琶」「筑前琵琶」の源流となった。
琵琶が人々の間で人気を得たのは物語に合わせて演奏する、というスタイルで、平家琵琶は平家一族物語を語る「平曲」に用いられ、「語り物」
音楽のジャンルを確率させた。近代では一般の人々も愛好する「薩摩琵琶」「筑前琵琶」が普及した。
岩)表板が桐、裏板が桑で出来ていて、4柱の物と5柱の物があります。
とりあえず、1曲弾いてみましょうか。
堀)お願いします!
↑演奏中はガラッと雰囲気の変わる小太郎さん。
先日お会いした時にも演奏は拝聴させて頂いてましたが、やっぱり何度聞いても聞き入ってしまいますね。
弦の胸に響く音も素敵ですが、岩下さんの唄の深みもやっぱり素晴らしいです。
自分も演奏に挑戦させて頂きました!様になっているかな...?笑
↑撥(ばち)の握り方はこう!
小太郎さんの演奏を聴くと、鍵盤ハーモニカも目印のシールを貼らないと ”ド”の位置も分からず、カラオケに行っても大体平均点より2.3点以下をとる自分が少し情けなくなりました 汗
―――――――――肥後琵琶について
堀)肥後琵琶の再興を目標に、日々演奏をされている小太郎さんですが、肥後琵琶の魅力について教えてください。
岩)筑前琵琶や、他の琵琶だと、ここでこう演奏しなさい、唄いなさい、と決まっているものが多いですが、肥後琵琶にはそういった縛りが少なく、奏者の自由に演奏できるところですね。
ただ、他の琵琶と違って、肥後琵琶の奏者は数える程しか現状はいないので、認知度を広めて後継者や、保存・普及に努めていきたいですね。
堀)なるほど。決まった型がない分、自分で曲を作る難しさもありそうですね・・・
↑肥後琵琶についてもっと詳しく知りたい方は、ぜひ小太郎さんのnote記事をご覧下さい!
最後に今後の抱負を聞かせてください!
岩)琵琶奏者としてだけでなく、琵琶の修復士としても1人前になって南関産の竹や木を使って、琵琶を作ることですね!
奏者としてだけでなく、制作の勉強をしていきたいですね!
今日は取材のためにお話を伺いしましたが、個人的にも琵琶という楽器の幅広さ、日本の歴史とも特に密接に結びついている事を知れて、とても勉強になりました。
もちろん、小太郎さんがよせる琵琶への並々ならぬ「愛」も。
南関産の素材で作られた肥後琵琶と、その琵琶から奏でられる音を聞ける日が今から待ち遠しいです。
小太郎さん、本日はどうもありがとうございましたm(__)m
次回の地域おこし協力隊の紹介は、早速、岩下小太郎さんにお願いして、和水町の歌手、松下元気さんを取材して頂きます!
TANの中でも特に「音楽」に通ずる お2人...
どんなインタビューになるのか楽しみですね!
TANメンバー紹介リレーもいよいよフィナーレです!
乞うご期待♪
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