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さつい。②

あぁ?ぶちくらすぞ、きさん!😡


老ぼれとなっても尚
俺は時々助手席から窓を開け
割り込んで来た車に向けて叫んでいる
薬が効いてない時は半身不随なので
逆にぶちくらされてしまう気がするが
激怒が老体への活力になっていることも事実だ



喧嘩を売られた時の不快感と呼ぶべきか
俺は元来争い事が苦手だと言うのに
昔から妙に侮辱されやすいタチらしい

これは土地柄の影響だろうか
我慢の限界を一度越えてしまうと
ダンベルでしっかり鍛えた腕が
ブルッと震えてしまう
今では薬が切れた時に起こる震えだ




きっかけすら分からない記憶の断片に酔う


あれは確か取引先のK氏との飲み会
若禿に悩む俺の部下を執拗に弄るK氏
ホステスの下品な笑い声が響く
K氏がトイレに立つその瞬間に
寸分の狂いなくK氏の顔面に前蹴りを叩き込み
たった2.3発殴っただけで拳に激痛が走る
営業マンとして情けない限りだ

部下や周りの人間が
泣きながら俺を羽交締めにした気がする
その後直ぐにタクシーに乗せられ帰宅した
被害届が出されなかったのは不幸中の幸いだった

飲み会だというのに早々と家に帰ると
妻と長女が、血のついた拳を見て騒いだ

「お父さんは今日、悪い人をやっつけたばい」

と、宥めたつもりだったが非難轟々だった
小学生の長女は何故か泣き腫らし
妻からは確か、離婚を切り出された気がする
そういえば幼稚園児の次男は
妙に興味深く俺の拳を見ていた

俺の息子は俺と違って物静かで
いつも穏やかな目をして俺の話を聞く
北九州男児たるもの強くなければならんと
格闘技を勧めたが彼は無視してピアノを選択した
顔つきも妻似で全くというほど
俺の遺伝子を受け継いでなさそうだ


息子が小学6年生の頃だっただろうか
少年野球の監督が息子の親友を罵った
馬鹿だの阿呆だのボケだのマヌケだの
エラーに対する叱責が常軌を逸していたので
その試合の夜、コーチの石川さんに
監督解任に向け署名を集める提案をした
俺は少し強めに提案をしたつもりであったが
血相を変えた妻が電話横で
「この子が恥晒しになるやろが!馬鹿が!」
と横から喚いて難儀だった

その翌週からだっただろうか
レフトで7番バッターだった息子が
一切試合に出されなくなった
息子は引っ込み思案であるので
この問題監督には気に入られなかったのだろう
卒業試合でさえも彼は一塁コーチを務めていた


そんな引っ込み思案な息子であったが
中学からはバンド活動に夢中になり
ミュージシャンになる為の発声練習だと言っては
毎晩のように金切声を上げていた
音楽というものがからっきし分からないが
息子には悪いが才能はないように思えた
そういう部分は俺に似てしまったのかもしれない


そんなことをふと思い出していた先週
珍しく息子から電話がかかってきた
いつもは妻にかけてくるのだが

・弁済中の奨学金の残高通知を受け取ったか?
・コロナにかかったが4日で完治した
・病状は悪化してないか?

と、
手短に淡々と
市役所の市民課のあの目つきの悪い男のように
早口で語る息子に

「父さんが出世しなかったから
 まあ、悪かったな、奨学金借りさせて」

と、切り出した
あのダントツの営業成績で何故
俺は統括部長へ昇進できなかったのだろう

「は?逆に、取引先の人ぶん殴って
 普通に定年までいられて奇跡やん」

と、意外な返事だった
どうやら息子は長期記憶が発達しているらしい
因みに俺は役員と揉めて早期退職したのだが、、

「何というか、海外に出て逞しくなったな
 少年野球の時もその、、
 試合に出られなくても頑張ってたもんな」

昔話に花を咲かせようとすると

「はあ?父さんがコーチに電話して
 次監督が暴言吐いたら引きずり回すけんな!
 とか脅すから、試合に出れんかったんよ
 僕がエラーして怒鳴られたら
 監督を殺しに行きそうやけん笑
 それに、もう試合に出たくもなかった」

何かその後も市民課のように語っていたが
俺には息子の論理がよく分からないので
適当に相槌を入れた
まあ、息子なりに頑張っていたのだろう
この歳になっても
会話が噛み合わないのは何とも残念だ



「ベーコン焼いたけん早よ食べんね!」

妻の怒鳴り声がする
一昨日、食パンの焼き加減に助言したら
昨日から朝食がベーコンと茹で卵のみとなった

298円の安物ベーコンを焼いたところで
ピシャっとした厚切りベーコンには勝てまい

そもそも朝食に野菜がないとはどういうことだ
せめて、もやしと炒めることぐらいできるはずだ
息子といい、妻といい
俺の周りは噛み合わない連中ばかりだ

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