日記の日記
2014年5月1日にこんなことを書いていた(mixiでのつぶやき)。
今年度から毎週土曜には会社の前で街宣活動が行われているっぽい。前はけっこう人が集まることもあり、マイクでの怒声や掛け声がうるさいこともあった。が、今日はうってかわってハープの流れる穏やかな歌が響いていた。歌声は森山良子っぽくもあり、すこしいいなあと思った。
敵対関係って相互依存関係のうちのひとつだとおもうけど、そうでなくお互いに無視してそれぞれ闘えばいいのに。(05月01日)
後半の「敵対関係って…」の箇所について、ある種の日記はそのような「闘いの場」である…と、センター試験の過去問(2001年の国語)の以下の文章を読んで気づいた。
[…]いかに病気と呼ばれようとも、ある種の人びとにとって、日記はただ毎日つけるだけでは十分ではない。それを繰り返し読み、かつ意見を追加してゆかなければいけないのだ。再読と記述の追加とは、日記を書くという行為の何か本質的な部分につながっている。(富永茂樹『都市の憂鬱』)
ある日の日記に対して別の日から記述の追加――解釈、批判、反論、改訂など――を行い、そしてまた他の日に、ある日の日記に対する別の日の記述を再読し、記述を追加していく…。このような連なりを持つ各人の日記は――「密かに」ではあるが――「お互いに無視してそれぞれ闘」っている。
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