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おだやかな幸せとは

京都で出張写真館「 田村寫眞館(しゃしんかん) 」を始めて7年目を迎える。

そんな中、新型コロナウイルス感染症の影響で、withコロナの時代になった。コロナウイルスの影響か、はたまた写真館を知る人が少ないということなのか、6月の時点で家族写真の撮影依頼はかなり減ってきた。

これを機に、田村寫眞館の事業理念である「 おだやかな幸せ 」を届けるということについて考えてみたいと思う。

そもそも、「 おだやかな幸せ 」というのは、どういった幸せなのか。

①おだやかな幸せは、普通の幸せと何が違うのか。
②どういった瞬間におだやかな幸せが現れるか。

①おだやかな幸せは、普通の幸せと何が違うのか。

まず幸せというのは、プリントした写真やカメラのようにカタチがないものだから、言葉で説明するとなると伝わりにくくて、 伝えるのはなかなか難しいように思う。

「 幸せはいつも自分の心が決める 」と相田みつをさんが言っているように、幸せの基準は、ほんとうに人それぞれだ。人によって感じ方が違うし、「 あっ、今幸せだなぁ 」って感じるのは、意識していないとつい見逃してしまいそうになる。これは私だけかもしれないが、幸せを感じている時に、冷静になって幸せを意識することは少ないように思う。

このようにカタチのない幸せ、意識することが少ない幸せについて、フォーカスすることから初めてみた。

田村寫眞館の思う「 おだやかな幸せ 」というのは、あれを手に入れたから幸せ、これがあるから幸せという幸せじゃない。あれやこれやがなくても、今のまま、ありのままで感じられる幸せだと思っている。

例えば、有名な学校に入ったり、大手の会社で働いたりすることで幸せという類の幸せではないと思う。肩書や年収、学歴、成績がそのひとの全てではないので、みんなが今の自分に満足して生活していれば、幸せなんじゃないかなと思う。

それらがそのひとではないので、そのひとがいるだけで幸せなのだ。年収はよかったらラッキー、成績もよかったらラッキーくらいでいい。

それが「 おだやかな幸せ 」につながってくるはず。

以前、動画でもおだやかな幸せについて触れてみた。

この動画でも言っているが、あまり肩肘張らず、背伸びをしないところにおだやかな幸せがあるのだと思う。

一言で言うと、ありのままのあなたでいいのだ。

②どういった瞬間におだやかな幸せが現れるか。

それでは、どういった瞬間におだやかな幸せが現れるかということについて考えていこう。

写真というのは、よく写真を撮っている人が写ると言われている。そのことから、撮影者の私自身が「 おだやかな幸せ 」を感じることが大切なのだと思う。

①の話から、おだやかな幸せがありのままの状態で感じられるものだと分かったので、撮影者である私がありのままの状態で撮影することが必要とされる。それと同時に、お客さまもありのままの状態になることによって「 おだやかな幸せ 」が生まれてくるのだ。

ただ撮影という時点から、私とお客さまの間にはカメラが存在する。

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大概のひとがカメラを意識した時点でありのままの状態ではなくなってしまうだろう。

「 いい雰囲気で写りたい、家族みんなで笑顔で写りたい 」

そういった意識は、ありのままの自分を背伸びさせようとしてしまうのだ。しかし、捉え方によっては、うまく写ろうとする自分もありのままなのでいいのかもしれない。

いろいろ考えて思ったのが、カメラが消えた瞬間に「 おだやかな幸せ 」が現れてくるのだはないかということ。カメラを意識しないくらい楽しみながら撮影することがおだやかな幸せに近づける一歩なのだと思う。

ここで撮影者の私やお客さまが「 楽しみながら撮影をしなきゃ 」と考え出すと、またしてもありのままではなくなってしまう。

それではどうすればありのままで撮影することができるのか。

その問いに、

「 撮影することが楽しいし、そもそも楽しみながら撮らなきゃという考えはなかったな 」

というスタンスの私がいた。そういうことで、あと私がすることはお客さまが「 楽しみながら撮影をしなきゃ 」とがんばってもらわないような雰囲気をつくることだ。


このような感じで弊館の事業理念に入っている「 おだやかな幸せ 」について考えてみた。なかなか不器用な言葉遣いでうまく伝わっていないかもしれないが、私はこれまで以上に「 おだやかな幸せ 」を見逃さないようにシャッターを切っていきたいと思う。





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