癖があるから

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あなたをあなたたらしめるものってなんだろうか。戸籍?免許証??マイナンバー???それともDNAに刻み込まれた遺伝子情報とでもいうだろうか。人の持つDNAは皆ほぼ一緒であり、大体0.1%ほどの違いにすぎないという。なのにこんなにも違いが生まれてくるのはなぜだろう。私と松坂桃李の間には0.1%どころじゃないなにか越えられない壁があるということを否定してくれるお人好しは少なくとも私の周りには存在しない。
遺伝子が0.1%しか違わないということはあくまで生まれた人間そのものというか、生き物として遺伝子の違いが、ということである。そしてそれは育った環境(生まれてくる母体の環境も含む)や教育、食生活などから徐々に徐々にそれぞれの方向性へと分化していく。地元がどこであるかとか、公文に通ったか進研ゼミだったかなどのほんのわずかな角度の違いが、ストライクになるのか、それともガターになるのかを決めるということだ。松坂桃李がストライクだとしたら、私は隣のレーンでストライクを取っているということを切に願う。ちなみに英語で雨樋のことをガターというらしいが、そんなことはどうでも良い。

けれども、そういう0.1%の違いや育ち方の角度の違いでどんどん個人差が出てくるということが私を私たらしめているのかと思うと、それはまあそういうことだろうなと納得する。粘土をこねて成形していくように、プレーンな肉体にさまざまな要因が繰り返し繰り返し刺激を与えることによって、私たちの身体、そして精神には特徴が、いうならば癖というものが刻み込まれていく。あなたが何気なく話す言葉の訛りが、カラオケでちょっとだけ外してしまうキーが、何も言わずに全ての唐揚げにレモンをぶっかけてしまうその心意気が、それこそまさにあなたがあなたである由縁なのかもしれない。

「あって七癖」とは、どんなに癖がなさそうな人でも七つくらいは癖があるということを表現した言葉だが、これは物にも当てはまると思う。読み込んだ本にはめくり癖がついて、表紙と本文は当分再会できないように思えるし、書き込みだってしているかもしれない。きっとブックオフに持っていったら店員は眉間に皺を寄せるだろう。長年履いた靴はどうしても自分の足にジャストフィットしてしまう。カカトを潰した靴は、サンダルと靴の両方の機能を兼ね備えた自分仕様。まさに水陸両用、はたまた両A面か。

大量消費社会になって久しいが、我々が普段手にする量産品には、店頭に並んだ時点では0.1%の誤差もないだろう。さすがジャパンメイドだと拍手を送りたいところであるが、実際のところ、私はそういう新品があまり好きではない。使っていくうちに自分の手に馴染んだり、ボロボロになっていくものにこそ魅力を感じる。何より物についてしまう癖が、それが自分のものであるという証だと思うからだ。こいつの地元は俺だなぁと思うことができる。愛着が湧く。そうそう買い替えることはできなくなる。よく、革製品を使い込んでいって色が渋くなっていく様のみを愛する人がいるが、そんなものはブルジョワの考え方である。私が愛しているのは、色が禿げてしまってどうしようも無くなっているクルトガとか、押されすぎてもはや光沢を帯び始めた押しボタン信号のボタンである。決して万人から好ましいと思われるような癖ではないということだ。

そう考えると、私たちが1番長く使ってる物はなにか。それは「私たち自身」ではないだろうか。人生は私たち自身という媒体を通してしかエンジョイすることができないというのは間違いない。スマブラが任天堂でしかプレイできないように、人生はこのどうしようもなく不便なハードを通してしかプレイできない。これだけ使い倒しているのだから、不具合もあるし、癖もつく。あれ、最近左の矢印キーが反応悪いな・・・などなど。それは一見すると壊れているように見えるかもしれないし、みっともないかもしれない。汚れていったりもするだろう。でもそんなふうについた癖があるからこそ、私は私だし、あなたはあなたでいることができる。そんな癖を愛しながら、自分自身を含めた物たちを使っていきたい。


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