メトロン星人を食卓に潜り込まされた(『イルカも泳ぐわい。』を読んで)

子どものころ狂ったようにウルトラマンの怪獣図鑑を読みふけっていた事を思い出した。
多くの少年は大抵、戦隊モノや仮面ライダーに憧れるなか、私は俄然ウルトラマン推しの男の子だった。ツタヤで歴代のウルトラマンのVHSを借りては、ビデオデッキで8ミリテープでダビングし、繰り返しみた。最新のウルトラマンダイナしかチェックしていない友達に対して初代ウルトラマンから見ている古参ファンを気取っていた。
怪獣図鑑は大きさこそ小さいものの、厚みはしっかりと分厚く、ずっしりと重かった。子どもの手には重かったと思うがそれが地球を脅かす怪獣の情報の重みだと思うとその図鑑の情報に説得力を持たせていたのかもしれない。その記憶が刷り込まれているからなのか、本を選ぶ時に内容よりその存在感やプロポーションで手に取ってしまう。
その図鑑にはありとあらゆるウルトラマンシリーズの怪獣が網羅されており、身長・体重はもちろん得意技やその口から放たれる火球の温度、そしてなんとその怪獣の味まで記されている怪獣もあった。ツインテールという怪獣(決して髪型のことではない)の味はエビみたいな味がするそうだ。しかし、こういうどうでもいい情報は覚えているけれども肝心の怪獣の大きさや弱点などは私の記憶からは抜け落ちてしまっている。きっと私が怪獣を倒す必要がないと悟った時、脳内大掃除が始まり、怪獣図鑑の情報は真っ先に半透明のポリ袋に放り込まれたのだろう。

でも、ウルトラマンシリーズの中で実際のとこ覚えているシーンはそんなに多くはない。ただはっきり覚えているのは「ウルトラセブン」に出てくる「メトロン星人」がウルトラセブンである「モロボシダン」とちゃぶ台を挟んで座っている、というシーンである。そのシーンが一体なんだったのかは全く覚えていない。しかし、インパクトがありすぎて強烈に脳の奥の奥の方に刻み込まれてしまっている。何しろ、ウルトラマンであるモロボシダン(生身の人間の状態)が敵であるメトロン星人とちゃぶ台を囲んでいるのだ。画がコンテンポラリーすぎやしないか。私だったらすぐさま中腰になってしまう。中腰になったのち、全く動じないメトロン星人を前にして、ペラッペラの座布団に居心地が悪く座り直す。メトロン星人は「ポロロロロロロロン...」と鳴き声ともメトロン星の言語とも取れない音を出す。「まあ落ち着いて、座って話そうや」となだめられているような気がして、メトロン星人が地球人よりも人間的に成熟していることを見せつけられ、地球人代表の私は立場がなくなってまう。もしかしたらモロボシダンも一回その過程を経てあのシーンになったのかもしれない。いずれにしても、あのメトロン星人の頭部が放ついかにも作り物っぽい光沢や暗い部屋に立ち込める空気感、小さなちゃぶ台とは不釣り合いな巨大なエビのような頭部、ちょっと気まずそうなモロボシダンの表情、全てが脳裏に刻まれている。

Aマッソ加納愛子さんの著書『イルカも泳ぐわい。』を読んでいると、そこでそんな事を考えるのかとびっくりさせられることが多々ある。しかし加納さんの身に私が経験できないようなことばかり起こっているのかと言うとそんなことはない。職業の違いはあれど、私と同じ東京に暮らし、カブに旬を感じ、ちゃぶ台で晩飯を食らっているはずなのだ。ただ、加納さんの語るちゃぶ台の向こう側には、頭部にテカテカと光沢をたたえたメトロン星人が鎮座しているのだ。当たり前のように鎮座したそれを日常の延長として文章の中に滑り込ませてくる。

私の過ごす日常にもきっとメトロン星人はどかっと座り込んで、私に発見されるのを待っているのかもしれない。そう考えると、メトロン星人の「ポロロロロロロロン...」という不快な、それでいて懐かしい音が聞こえてくる気がしないでもなかった。

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