ねにもつタイプ

岸本佐知子さんのエッセイ集『ねにもつタイプ』を知ったのは、Aマッソ加納さんが「webちくま」上で「隣のクラスの面白かったあいつ、今どうしてるかなと思った時に読む本」として紹介されていたからだ。Aマッソ加納さんがwebちくま上で連載しているエッセイ『何言うてんねん』が抜群に面白く、すぐさま世界各国の言語で翻訳されるべきだと思っているので、その加納さんがオススメするならと、『ねにもつタイプ』を密林通販で注文した。

誰もが子どものころには、自分が不意に違う世界へ転がり込んでしまったりするのではないかと、妄想を働かせるものだ。得てして、物語の主人公は日常空間と地続きで、ここではない別の世界に足を踏み入れてしまうものである。それは、トンネルの向こうは不思議の街だった「千と千尋の神隠し」の千尋や、渋谷の雑居ビルの隙間から動物たちが跳梁跋扈する世界に迷い込んでしまった「バケモノの子」の九太も同じだ。そんなアニメ作品がたくさんある日本だからなのか、それとも子どもはすべからく想像力が豊かなのかどうかは定かではないが、私たちは日常世界からここではない世界への入り口を探す嗅覚が備わっていたはずであった。だからこそ、本気でチャクラを練ろうとしたし、横断歩道の白いところから落ちたらワニに食われてしまうのだったのだ。
しかしながら、私たちは年を重ねるにつれてきっとこの世界と平行で存在している世界とは決して交わらない事を悟ってしまう。平行線は永遠に交わらない。この世に、体がゴムのように伸び縮みするようになる木ノ実なんてものは存在しないのだ。そう言った科学だの実在だの論だの証拠だのに押さえつけられることに慣れてくると、この世界が無限に可能性のある世界の中の可能性の中から選ばれた、たった1つの可能性にすぎないということを忘れてしまう。確かにそれは今のところは正しいために、概念として存在していても、行くことが出来ない世界へ想いを馳せることは後回しになっていく。大人になればそれなりに大切そうなことが順番待ちの列をなして目の前に鎮座ましましているため、余計なことを考える暇はない。

岸本佐知子さんの『ねにもつタイプ』を読んでいると、彼女が日常の中にある奇妙な世界への入り口を嗅ぎつける嗅覚が、いまだに鋭いことにに驚く。ちょうど無邪気な少女が別世界への入り口を発見してしまう冒険譚のような文章だ。むしろ、彼女にかかればほんの些細な世界のほつれからでも、別世界への入り口をこじ開けることができるのではないか。放っておけば便利な扉まで勝手に設置しそうな力強さがある。もしかすると、岸本さんには未だにトトロを直視するだけの健全な精神が残されているのではないかと思える。この力は、彼女がこの奇妙な世界を全力で面白がろうというある種の飢えである。彼女がここまでできるのは、決して平行世界にいくことができないことが明らかにわかってしまっているからなのかもしれない。
確かにパラレルワールドや違う世界の存在はイメージはできるけれど、今のところは実際に行ってみようという訳にはいかない。ホウキにまたがっても白い目で見られるだけだ。でも、唯一無二の、この世界を思いっきり面白がってみるのも良いのではないだろうか。

岸本佐知子『ねにもつタイプ』ちくま文庫
File29. 加納愛子(Aマッソ)・選:隣のクラスの面白かったあいつ、今どうしてるかなと思った時に読む本
http://www.webchikuma.jp/articles/-/1262

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