ラーメン二郎を家で食べるときに思ったことひとまとめ

新型コロナウイルスの影響で、世界各国で感染拡大防止策が取られている中、私のクラスここ日本、特に東京都においても例外なく非常事態宣言が発令された。飲食店、雑貨店などのそれぞれの専門領域の如何にかかわらず、軒並みその暖簾をしまい込んでいる————もっとも雑貨店の類には暖簾という日本古来の習慣は完全に忘れられつつあるが————(注1)。いつもは何の用もなしに若者でごった返している渋谷のセンター街も、表参道も、原宿もそのアスファルトの面にかつてないほどの太陽の光が降り注いでいる。しかし、休業要請のせいで目当てのものをネットショッピング(注2)以外の方法で手に入れることができなくなってしまった。ただ、ネットショッピングで買えないもの————そう、今も正当な理由で暖簾を出し続けている飲食店の類がまさにその例だ————は休業してしまったらそれっきりで、その店の食べ物にありつくことは今の所できない状態だ。
しかしながらたとえ未知のウイルスが私たちに攻撃を仕掛けてきていたとしても、店舗を借りてしまっている以上は賃料というのが毎月律儀に発生してしまう。なので持ち帰りの弁当やウーバーイーツなどの店舗を使わない方法でなんとかその宅配便では決して届けることのできない商品を賃料の埋め合わせにすべく奔走している(注3)。その現象は一斉に普及し始め、ウイルスが広まるのよりも早く日本中に広く行き渡ったのではないかと思う。
私の敬愛してやまないラーメン店、「ラーメン二郎」もその煽りを受け、一部の店舗では店内での提供を辞め、テイクアウトのみの営業となった。

(つづく)

(1)ここであの暖簾といういくつかの切れ込みが入った布が飲食店の入り口で客の出入りをさりげなく邪魔にすることが必要なのかを考えてみることにする。まず真っ先に思いつくのは、ここが飲食店であること、そしてその店名を通りに歩いている人に知らしめるためであろう。店名をでかでかと通りに向かって掲示する方法はよりその目的にかなっているとは言えるが、その行為はあまりにも下品であるし————ちょうど弟が生まれて競争相手が出現した途端に母親にすがりつく長男坊のそれに似ている————、調和のとれた通りの景観を保つために最低限守られるべきマナーでもある。もっとも、日本の繁華街の景観がかくもみだれた状況に向かっていったのは資本主義が加速していき、効率の良いチェーン店が急速に全国に拡大するのと正比例している。チェーン店はかつて調和の保たれていた繁華街にグラフィックデザイナーがひときわ大衆の目を向くように考えられたロゴマークを堂々と彼らの予算が許す中で最大の表面積をもって全国に同時多発的に出現させた。話は戻るが、暖簾があるのは店に入る前に客が一礼すること促す茶室のにじり口の精神を受け継いだものであるとか、暖簾で汚れた手や顔を拭ってから入るためのものだといった俗説のことについては私はあまり信用していない。
(2)ネットショッピングの出現によって首都圏————インターネットを使い慣れた人々—————に住む人にとっても田舎に住んでいる人にとっても買い物というものへの便利さが特段に変わらないものとなった。東京でしか売っていないものが買えるというのは地方の人にとって驚くべきことであったろう。しかしながら洋服や靴といったサイズを選ばなくてはいけないもの————それはときに帽子やカバンも含まれる。しかしながらそれらはフリーサイズであることも多々あるために、サイズ展開のないものだとかえって安心する感もある————を買うときには最新の注意が必要だ。注文し慣れたブランドなら、たとえ見たことも触ったこともない最新作の洋服だったとしても————ただ、前衛的なブランドはそもそものサイズ基準を大幅に更新してしまうことも多々ある————届いた瞬間にこちらの望むようなフィット感を提供してくれるのだが、少しばかり値の張るちょっとしたチャレンジのような買い物であるのならば実物を手に取ることのできる実店舗での買い物をするであろう。
(3)おそらく今回のことで、以前はパソコンなんて触ったことのないような老舗小料理店の板前でさえも、客からのウーバーイーツの注文を店からなるべく近いドライバーにマッチングさせるくらいのことはできないと生きていくことができないという時代の到来を早めさせることになったであろう。どんな商品を売っていたとしてもそういった画面上の操作で顧客を満足させなくてはいけない————さながら株式のデイトレーダーのような仕事を皆が兼任することになる。そろばんが電卓に変わったように、伝票がペイパルからのメールに取って代わられたのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?