時間旅行を夢見て(映画『四畳半タイムマシンブルース』の感想)

私はときたま、過去に戻りたいと思うこともあれば、未来に行きたいということがある。しかしそれは決して時間旅行といったお楽しみ目的ではない。例えば高校に戻って東京大学に進学した人生を歩んでみたいだとか、今やっている下積みが終わってカメラマンとして独立して富と名声を手に入れた未来に早く行きたいというような願望である。だから、映画でよくある、過去の自分に遭遇するとか恐竜に追いかけられて大変だとかじゃなくて、もうただただ過去に後悔があったり日々の生活が辛すぎるだけ、というなんとも不甲斐ない動機による時間旅行願望だったりする。

私は旅行が苦手だ。というより、行楽が苦手だ。何かしらの生産性を見出さないと、それに対するコスト(時間・お金)を支払うことに罪悪感を感じてしまっていた。建築学生の時は、何かしらの建築を見に行くという大義名分がないと旅行に行くことができなかった。京都と奈良に4泊5日で50箇所近くの寺社仏閣を見た時は、ほどんど修行だったし、遊びに行ったりするのも美術館に行くとか建築を見に行くとか古本を探しに行くとか、何かしら自分の身になるようなことしかしちゃいけない気がしていて、それは徐々に自分をすり減らしているように思う。けれども、現状の自分に満足できないから、何かしら自分を成長させているという保険がないと不安に感じてしまうのだと思う。

そもそも、もっと自分は成長できるとか、あそこでああしてればこんなはずじゃなかったとか、そういう感情って自分の場合は、自分に期待しすぎてるハナクソみたいなプライドから起因しているものだから、すごく恥ずかしいなと思った。(いや、高校時代に戻っても東大にはいけねーよ!この先カメラマンとして売れると思ってんじゃねーよ!調子乗んな!ボケが!)努力することは素晴らしいことだけれども、そこに漂うオーラがなんとなく不健康な気がして、何か努力をしたとしても、結局また気分が落ち込んだりもする。King Gnu『白日』の「真っ新に生まれ変わって人生一から始めようがへばりついて離れない地続きの今を歩いているんだ」という歌詞で泣いちゃう感じになる。

『四畳半タイムマシンブルース』の元になった作品の一つの『四畳半神話大系』の主人公の経験するタイムリープと動機は、私自身とよく似ていると思う。。主人公は現状の不毛な学生生活ではなく、薔薇色のキャンパスライフを夢見て大学1回生を繰り返す。記憶も無くなっているからタイムリープじゃなくて本当に時間も巻き戻っているわけだけれども、とにかくあんな感じで今をやり直したいと思うことが何度もある。でもまあ、失敗した記憶も無くなっているわけだから、同じような失敗を何度も繰り返すわけだけれども。

ただ、『四畳半タイムマシンブルース』の主人公は、そういった負の感情によって行動をする(してしまう)といったことが少なかったように感じた。『四畳半神話大系』の主人公は最終的には自分が不毛だと思っていた学生生活が実は充実していたものだったということに気がつき、時間のループ(四畳半)から抜け出すのだが、その「解脱」した後の主人公が『四畳半タイムマシンブルース』の主人公であったような気がする。解脱する前の主人公だったら、もっと違うことにタイムマシンを使っていたのではないかと思う。

ああ、タイムマシンがもしあったとしたら、今の自分は何に使うのだろう。きっと壊れる前の何かしらを取り戻しに行けるだろう。​

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