わたしを空腹にしないほうがいい

友達に『わたしを空腹にしないほうがいい』というエッセイ本を借りた。彼女は料理エッセイ好きだということだったので、私はリリー・フランキーと沢口知之の『架空の料理 空想の食卓』を貸した。

『わたしを空腹にしないほうがいい』は「くどうれいん」さんという当時大学生だった彼女のある年の6月の料理(ほとんどが自炊)にまつわる日記を再編集したものである。彼女の日記には毎日ちゃんとタイトルがついていて、それが素敵な俳句になっている。彼女は短歌会の会員であり、だから1日1日の日記にこんないいタイトルがついているのかと納得した。ひとつひとつの日記は長くはなく、一息で読める。

私がこの日記を親近感を持って読み進めることができるのは奇跡である。

巻末のプロフィールを見ると、彼女は1994年生まれで私と同い年であった。ということは、私が大学の野球部の練習をサボって、さくらももこのエッセイをグラウンドの裏で隠れて読んでいた頃に、彼女は1日かけてフレンチトーストを作っていたということだ。私が練習終わりに炊いた3合の米にレトルトカレー2袋をぶっかけて、アサヒスーパードライで流し込んでいるときに、短歌会に持っていくおいなりさん6種をこさえていたのだ。

そんな私がくどうさんのエッセイを手にとって読んでいるという構図がなんだかおかしくなってくる。

毎日彼女がキッチンで作る料理の描写は、昨今話題になっていた「丁寧にくらす」ムーブメントに代表される「おしゃれで綺麗で丁寧な感じ」とは少し違う瑞々しさと現場感が漂う。例えばパンを焼いたら必要以上に一気喰いしてしまい、体重を気にしてしまうという話などがある。自炊をしたらかえって食べ過ぎてしまったという経験はわたしにもあるし、皆さんもあるだろう。また、給食のゼリーが好きとか、ムネ肉をただクレイジーソルトで焼いて食らうだとか「乱暴に暮らし」てきた私にも「わかる・・・!」という一人メシの気楽さが随所に表現されている。もちろん、基本的に彼女の作る料理はとても美味しそうに表現されているし、人に振る舞うことも多々ある。しかし、そういった憧れの対象としての綺麗な食卓の部分ではなく、いい加減さや気楽に自分の好きなものを自分のために作って自分の好きなだけ食べるという「一人メシ」の魅力的な部分を実にイキイキと描いているところが私にも共感することができる部分だろう。黙々と一人で作り、一人で食する感覚が共有されているので、クレソンだとかバルサミコ酢だとか、私のキッチンにはない洒落臭いワードが並んでも親近感を持って読み進めることができるのだと思う。

何より彼女にとって「料理を作り、命をいただく」という行為が、彼女の「生」と密接に連関していることが強く心に残った。そう、私たちは当たり前だが食べることなしには生きていくことはできない。私たちは毎日口に入れたものを血肉にし、生きているということを痛感させられた。毎日の食卓を、命のやり取りをないがしろにしてはいけないのではないか。自分の生きる姿勢を問いただされたような気分になった。

2020年2月29日

自宅にて、ウーバーイーツでおじさんに原付で持って来させた、ダブルチーズバーガーを頬張りながら

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