見出し画像

外的自己と内的自己

こんばんは、トモです。

今日は外的自己と内的自己について、現状で私が理解していることをアウトプットしたいと思います。

というのも、外的自己と内的自己を理解し人生に活用することが自分のテーマの1つになったようで、これからの記事でもこれらをテーマに含んだネタを扱うことになりそうだからです。

まあ本来は、こういう「○○とは何か」みたいなお堅い雰囲気の記事は好まれないんですけどね(笑)

ただ、外的自己と内的自己のズレは悩みや問題の種になりがちなので、読んでいただくと役に立つかもしれません。

さて、前置きが長くなりましたが本日のレジュメ。


内的自己が不安定だと起こりがちなこと

外的自己とは何か、内的自己とは何か、に関してはレジュメを見てもらったら一発で理解できると思います。

人は誰しも弱い自分や情けない自分を見ないようにして、他人にカッコよく見せられるものを追求しがちです。

ちなみに、ゆにわ塾講師でありストーリーライティングの講座をしていらっしゃる新田祐士さんはこのような指摘をしています。

多くの人は「成長したい」と言いますが、その成長は「外的自己の成長」を指しています

このように、私を含め多くの人はあまり内的自己を意識しないんですね。

で、内的自己を置き去りにして外的自己を磨き続けるとどうなるか・・・

例えばビジネス系の人で言うなら、

  • こんなスキルを身につけた!

  • こんな実績を出した!

  • すごいぞ俺!

  • あれ?あの人の方が実績がすごい・・・

  • もっと努力しなければ!

  • 以下ループ

このループを繰り返しながらSNSではキラキラ発信をしているのに鬱っぽくなっていく人が多いらしいです(新田さんいわく)。

こうやって「他人に対して見せるキラキラした自分」をいくら磨いても、本当の意味で満たされないから虚しさがつのってくるようです。

ちなみに私の場合だと、旧帝卒の高学歴であることが逆に外的自己の呪いみたいになってた時期があります。

で、大学卒業後、最初の就職先で失敗して早期離職した後、実家に戻って無職になりました。

そこで私が考えた次の手が、公務員の社会人受験です。

その動機は、高学歴にふさわしいステータスと待遇、安定を求めたこと、および親に対してこれなら納得してもらえるかなと思ったことです。

はい、これこそ純度100%の外的自己を追い求める行為と言えますね。

で、公務員受験は筆記は色々受かったけど面接で全落ちという屈辱を味わいました。

まあ、動機が動機だけに、中身が空っぽの人間であることを見透かされたのでしょう。

そして公務員に用はないと、次は医学部再受験に手を出しました。

その動機は(以下略)

もちろん私が医学部に受かることはありませんでした。

このように、外的自己ばかり気にしていると、同じ失敗を繰り返してしまうこともあるということです。

さて、内的自己と向き合わずに外的自己が肥大化した時に起きる最悪の事態の話をします。

センシティブな話ですが、芸能人がSNSで炎上して自ら命を絶つ事例って定期的に目にしますよね。

あの現象って、外的自己が炎上で傷ついてしまったために、自分の全てが否定されて無価値になってしまったと錯覚するから起きることだそうです(新田さんいわく)。

つまり、外的自己の重圧で内的自己が潰れてしまうんですね。

そんな最悪の事態にならないまでも、ひどくショックを受けて中々立ち直れなくなったりするくらいは我々一般人でも起こり得ることです。

外的自己は不要なのか?

「じゃあ外的自己を磨いても満たされないから、内的自己と向き合うことだけ考えろということか?」と思われたかもしれません。

もちろんそんなことはありません。

外的自己は社会生活を送る上で必要なものです。

だって、初対面の人に
「僕は繊細で傷つきやすいけど、優しい心の持ち主なんですぅ」
とかガンギマリの目で言われたら恐怖しか感じないでしょう?

やはりコミュニケーションの入り口として、外的自己の情報は必要です。

それに、外的自己も自分の一部であることに変わりありません。

外的自己と内的自己が矛盾したり、分離したり、バランスが崩れたりしなければそれでいいのです。

まあ言うても、私自身が内的自己の理解が浅く、どうすれば内的自己が充実するのかもまだよく分かってませんが・・・

ひとまず、弱い自分や情けない自分、ドロドロした自分を認めて受け入れること、そういう自分もいることから目を背けないことが第一歩らしいので私も頑張ります。

るろうに剣心にもそういう描写があったよね

るろうに剣心という古いマンガがあるのですが、ちょうど今リメイクアニメが放送されていますね。

で、剣心が奥義習得するくだりがまさに内的自己と外的自己の統合みたいな描写なんですよ。

剣心は人斬りとして多くの人の命を奪ったことの贖罪をずっとしてきたわけですが、「愛する人と幸せに生きたい」という気持ちにフタをしてきたわけですね。

不殺(ころさず)の流浪人(るろうに)という肩書自体が剣心にとって外的自己で、内的自己から目を背けてきた。

だから師匠が剣心を〇す気で技を撃ってきた時に、薫のことを思い、「生きたい!」という気持ちに気付いて奥義を会得し、師匠の技を迎撃するわけです。

手元にマンガがないので記憶だけで書きましが、多分間違ってないはず(笑)

マンガの話とはいえ、内的自己と外的自己が統合された時に大きなエネルギーが出せるというのは頭に入れておきたいですね。

終わりに

さて、長い割にキレの悪い文章になってしまい申し訳ありません。

まあ、理解が浅いことを無理やり書いたのでどうしてもそうなるんですが。

このテーマの理解が進んだら、また加筆修正するでしょう。

それではここまでご覧いただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?