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自分のなかの、ふたつの性

私は男も好きだし、女も好きなので、たとえば「好きな男性はいるの?」と聞かれてもしっくりこないし、「レズなの?」と聞かれても、違う。「バイ(バイセクシュアル)なの?」と聞かれれば面倒くさいから、そうだと答えるけど、正直それも正解だとは思わない。私は、自分がパンセクシュアルだと思う。

パンセクシュアルとは、全性愛を指す。好きになる対象は男でも女でも、そのどちらのジェンダー(性自認)に属さなくても良い。私は男から女になった人(MTF)も、女から男になった人(FTM)もとても魅力的だと思う。もし私が男から女になった人と付き合えば、それは「レズビアン的」な関係になるけれど、私は相手を完全に女性だと認識した上で愛するだろう。女から男になった人に恋をすれば、そのたくましい腕に抱かれて安堵するのかもしれない。

レズビアンには、フェムとボイ、それからリバという役回りがあるらしい。フェムはフェミニンの略=女役で、ボイはボーイッシュの略=男役、リバはリバーシブルの略。つまり、フェムとボイのどちらにも対応できることを指す。男役、女役といえど、そもそも両者のジェンダーは女性である。また、ネコとタチという言葉もある。ネコは受け役、タチは攻め役のことだ。

ここまで解説しておきながら、自分でも不思議なほど退屈した気分になってしまう。私は役回りの話題には、一切興味がない。それくらい、“だれがどうである”といったことにはこだわりがないのだ。そういった性質なので、私は自分のジェンダーが女であるか、男であるか、ということもはっきりさせたいと思ったことがない。どちらかというと、両方のジェンダーを備えていると思う(出生児に割り当てられた性別のいずれでもない、もしくは両方であると感じている人や状態を「Xジェンダー」と呼ぶ)。それにもともとの“男顔”も相まってか、ショートヘアにすると、とたんに中性的な見た目になってしまう。

私は、中性的な見た目でXジェンダーの両性自認者であり、パンセクシュアルのリバだ。

昔から、「女らしくしなさい」といわれるのがあまり好きではなかったし、“女らしさ”とはなにかが分からなかった。小学生のころはずっとズボンを履いていた。女子大に通っていたが、周りの友人のほとんどとは話が合わず、そのうち大学には行かなくなった。一方で、幼少期に車や戦隊モノが好きだったとか、木のぼりが得意だったということもない。私はインドア派だし、パソコンやテレビゲームが好きだ。プラトニックな男友達がとても多い。それから、ショートヘアにすると、たまらなく爽快だ。自分に戻ってこられた気持ちになる。昔好きだった男性に「髪を伸ばした方がいいよ」と言われて、死ぬほど腹が立った。
化粧をするのは割と好きだ。暗い赤のリップがお気に入りだし、最近はスカートを履いたり、ピアスを選ぶのも楽しんでいる。でもそれは、自分の興味がおもむくままにやっている。誰かに言われたからとか、誰かに好かれようとしてやることはない。昔は露出が多いワンピースを着て夜遊びしていたこともあるが、そのときの自分の魅力を引き出してくれると感じたものを選んだ。

小学校のころから女性を性対象として見ている自分に気付いていたけれど、女性に何気なく肩に触れられたり、顔を近づけられることに不安を感じていた。自分の心のざわつきが周りに知られてはいないか、当たり障りのない表情を上手く作れているのか気が気ではない。そして男も好きだった。たくさん恋をしたし、身体の関係にも発展したけれど、生まれながらの男女は身体の構造が物理的に合致してしまうので、結局、心まで見えない人は多かった。

迷いながら生きてきたけれど、いつも、どうにかして自分を好きになりたかった。得体の知れない自分がずっと不気味だった。でも自分のジェンダーとセクシュアリティを受け入れてからはすべての物事を見る視点が変わり、だれがどうであっても、なるだけ尊重したいと思うようになった。

私は、できれば、私のこんな性質も分かってくれる人に愛してもらいたい。“男っぽい”し、“女っぽい”けれど、生まれつきのジェンダーとセクシュアリティは、どんなに頑張っても変えられない。性格や、生活習慣のようなものではないからだ。そして、このジェンダーとセクシュアリティこそが私そのものなのだ。

#LGBT

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